076 : Johann Strauß II [楽興の時]
Johann Strauß II
Johann Strauß II
ヨハン・シュトラウス2世(Johann Strauß II),全名はヨハン・バプティスト・シュトラウス
(Johann Baptist Strauß, 1825年10月25日 - 1899年6月3日)は
オーストリアのウィーンで活躍した作曲家/指揮者/ヴァイオリニスト。
ヨハン・シュトラウス1世の長男。弟には、次男のヨーゼフ・シュトラウスと三男のエドゥアルト・シュトラウスがいる。
生涯の多くを、ウィンナ・ワルツの作曲に捧げ、「ワルツ王」と評される。また、ワルツの他オペレッタ、ポルカなども作曲。
毎年、元日に行われる「ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート」は、彼やシュトラウス・ファミリーの作品を中心にプログラムを組まれる。
音楽の都「ウィーン」の代表的な作曲家であり、その肖像はかつて、オーストリアの100シリング紙幣に描かれていた。
生涯 父は、すでにウィンナ・ワルツの作曲家として著名であったが、息子たちが音楽家としての道を歩むことには反対していた。音楽の基礎的素養は母親から受けていた。
シュトラウス2世も、父と同じく音楽家としての才能に恵まれていたが、父の考えで大学では音楽とは関係のない経済学を専攻させられる。
やがて、父親に愛人ができ、家族内で関係が悪化。
やがて、父親は愛人(1849年に父ヨハン1世が亡くなった時に、愛人の女性がその遺体をそのままに、持ち運びできる荷物を全て持ったまま去った為、ヨハン2世とアンナがその遺体を引き取らなければならなくなった。この際ヨハン2世はショックを受け、生涯にわたり死の恐怖におびえ続けたらしい。DEAGOSTINI刊、The Classic Collection第8号を見よ)と蒸発してしまう。
従って、ヨハンが作曲家として活動しはじめたのは、父から独立してからであり、父と同じく管弦楽団を設立。
たちまち、人気の楽団になり、父とはライバル作曲家となる。互いに競争を余儀なくされるも、父親が1849年に他界してからは、いよいよ2世が正真正銘の「ワルツ王」として君臨することになった。
また、作曲家ヨハネス・ブラームスと厚い親交を結んでいたことは、有名。他にフランツ・リスト、リヒャルト・ワーグナーなどとも。
ジャック・オッフェンバックの勧めでオペレッタなども後半生には手がける。台本選びが苦手だったといわれ、その大部分は今日では忘れ去られているが、「こうもり」はドイツオペラ(とオペレッタ)の中でもトップクラスの人気演目となっている。
ブラームスと共に
生涯を通じ、作曲・演奏活動などで欧米各地でも活躍。父の名声、世紀末の風潮への社会的不安・商業演奏活動なども相まって世紀末のウィーンで一世を風靡した。
ワーグナーはシュトラウスのワルツを指揮して、「自分にこのような軽い音楽を書けないのが残念だ」と語ったといわれる。
チャイコフスキーも彼の作品を愛したひとりで、バレエ音楽「くるみ割り人形」の「花のワルツ」は、シュトラウスの様式に倣っている。
三度目の結婚に際し、法的な制限から国籍をドイツ(連邦帝国内のザクセン・コーブルク・ゴータ公国)へ移籍。住居はウィーンのままだったが、死の直前に作られた行進曲「狙って!」は“我等ひとつのドイツ”をテーマに掲げたドイツ射撃連盟のイベントに寄せられたものであり、晩年は大ドイツ主義的な立場への傾斜が伺われる。
代表作「皇帝円舞曲」もドイツ皇帝とオーストリア皇帝に捧げられベルリンで初演されている。もっともこれらは、長らくドイツ人の主流でありながら統一ドイツから除外されてしまったオーストリア国民の気分を反映したものといえ、オーストリア人とプロイセン人の組み合わせによる3組のカップルが誕生して終わる喜歌劇「ウィーン気質」のストーリーにも濃厚に伺える。
19世紀を代表する作曲家であり、若き日はウィーン宮廷歌劇場の総監督として名声高かったグスタフ・マーラーは、それまでオペレッタを上演することがなかった同歌劇場でオペレッタ「こうもり」を正式にレパートリーとした(1897年)。
さらに、ウィーン宮廷歌劇場で上演するバレエ曲(「灰かぶり姫」というシンデレラ物語)をJ.シュトラウスに委嘱した。しかしJ.シュトラウス存命中には完成せず、書きかけのバレエを気にしながら6月3日に世を去った。
経歴
1825年10月25日:ウィーンに生まれる
1832年:6歳の時、最初の作品「最初の思想」(ワルツ、作品番号無し)を作曲する
1841年秋:ショッテン・ギムナジウム卒業1844年10月15日午後6時:ホール「ドムマイヤー・カジノ」でデビュー演奏会
1846年6月23日:父1世の家の前で、自身の楽団員数人を連れ演奏。表向きは関係を修復する。1848年:ウィーン男声合唱協会と契約
1851年11月:ドイツへ演奏旅行
1852年11月:ドイツ・プラハへ演奏旅行
1854年4月:フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベート女王との婚礼祝典舞踏会で指揮
1856年夏:ロシアへ初の演奏旅行1862年8月2日:ヘンリエッテ・チャルベツキー(通称イエッティ・トレフツ)と結婚
1863年:宮廷舞踏会監督就任(1872年まで)
1865年:チャイコフスキーの性格的な舞曲を初演
1867年2月15日:美しく青きドナウ(合唱版)Op.314初演
1867年夏:パリ万国博覧会に出演
1867年6月10日:イギリスへ演奏旅行
1870年2月23日:母アンナ69歳で死去。(ウィーン中央墓地へ埋葬。当日のウィーンの舞踏会はすべて中止)
1871年2月10日:シュトラウス初の喜歌劇「インディゴと40人の盗賊」を初演
1872年6月1日:ブレーマーハーフェンよりアメリカへの演奏旅行に旅立つ
1872年6月15日:ニューヨークへ到着(13日とも)
1872年6月17日:世界平和記念祭コンサートに出演
1872年7月13日:アメリカより帰途に就く
1872年夏:バーデン=バーデンにてハンス・フォン・ビューロー、リヒャルト・ジュネと知り合う。プロシア皇帝ウィルヘルム1世より「赤鷲」の勲章を賜わる。
1874年4月5日:喜歌劇「こうもり」初演
1892年1月1日:宮廷歌劇場にてはじめて彼の作品(オペラ「騎士パスマン」)が上演された1899年5月22日:宮廷歌劇場で自作の『喜歌劇「こうもり」序曲』を指揮(ヨハン・シュトラウス2世最後の指揮)
1899年6月3日:肺炎により亡くなる(葬儀は同年6月6日)
作品(ジャンル)
ワルツ(3拍子の軽快な舞曲および舞踏、円舞曲)
ポルカ(舞曲の一つで4分の2拍子で軽快)
ポルカ・マズルカ(ポーランドの舞曲、軽快な3拍子)
カドリーユ(4人1組で踊るフランスの舞踏)
行進曲
バレエ
オペレッタ(喜劇的な小歌劇)
オペラ
その他
作品名詳細については Wikipedia を参照ください。
ウィーンにあるヨハン・シュトラウス像
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”テンペスト” yu-papaさんの疑問の解決になれば幸いです。
おはようございます。
私が好きな曲でも上位で・・・身を引き締められる想いで聞いてます。
舞踏会眼に浮かんで来ます、今日もありがとうございます。
by YUTAじい (2014-08-16 07:44)
YUTAじい さん おはようございます。毎日の暑さも読み方が代わって残暑となりました。
グアムでのご家族での夏休み 毎回楽しませていただいております。素敵な夏休みでしたね。
子供のヨハンシュトラウスの方が有名になりましたね。親子してプロシャの宮廷で活躍しましたが、曲想がより開明的で人々の共感を得たような気がします。
by 般若坊 (2014-08-16 08:55)
中学時代、クラッシック音楽で唯一好きだったのは美しき青きドナウをはじめとするウインナワルツでした。豪華で流れるような旋律。初めて買ってもらったレコードで何度も聴いていました。同じレコードに収録されたピチカートポルカも良かったです。
by beny (2014-08-16 11:04)
beny さん こんにちは。畑の作物が順調に生育して秋の収穫が楽しみですね!
ヨハンシュトラウスのウインナワルツは、古き良き時代のウイーンを彷彿とさせますね。
着飾った貴婦人達は、夜ごと宮殿での舞踏とアバンチュールにしのぎを削っていたのでしょうか・・・
当然彼の作曲したワルツももてはやされたのかも・・・ ^^
by 般若坊 (2014-08-16 11:21)
ラストの絵画に描かれた宮廷内の舞踏会…19世紀のこの華やかな世界が大好きですが、ただ、それはあくまでも音楽や絵画や映画で描かれる世界のこと。自分の柄ではないことは重々承知です。
by sig (2014-08-16 11:50)
sigさん こんにちは。私も舞踏会の絵画や映画が好きですね。華やかで豪華です。この舞踏会の男性は燕尾服を着用していますから、比較的新しいものですね。
現実と余りにも乖離して空想に近いですが、自分の身に置き換える必要は全くないのでは・・・と思います。楽しめば良いんですよね! ^^
by 般若坊 (2014-08-16 12:20)
ヨハン・シュトラウスのワルツにのめり込んだ時期も有りました。
何時聞いても心躍ります。
by katakiyo (2014-08-17 05:25)
katakiyo さん おはようございます。ワルツの3拍子のテンポは、人の心を浮き浮きさせる魅力がありますね。
katakiyo さんは、それに陶酔されたのでしょうか? ^^
by 般若坊 (2014-08-17 09:32)
クラッシックでとても好きな曲が有るのですが、
作曲者も曲名も忘れましたぁ~・・・(凹)
うすら覚えですが、テンペストかも知れません。
by yu-papa (2014-08-17 13:57)
yu-papa さん こんにちは。好きな曲なんだけど、作曲者も曲名もよく分らない・・・といった事はよくありますね。
曲名がこれではないか?と思われる場合、探る方法としてYoutubeをお勧めします。
検索欄に曲名を入れて検索すると、該当する画面が出てきますから確認できますよ。
また曲が再現できる場合、iPhoneを使用して曲名検索できるソフトもあるようです。
ともかくもテンペスト第3楽章をMp3で一番最後に載せましたので、ご確認ください ^^
by 般若坊 (2014-08-17 15:27)
テンペスト・・・好きな曲です。ありがとうございました。
by sig (2014-08-18 00:27)
sig さん こんばんは。再度のご来訪 ありがとうございます。
まだベートーベンの番ではないのですが、 yu-papa さんの為に貼りつけました。
テンペスト 雄大なピアノソナタで、シェークスピア劇の「嵐」の意味ですね。激しいピアノタッチが嵐を連想させます。 ^^
by 般若坊 (2014-08-18 01:47)
菜園の見舞いコメントを頂きありがとうございました。
最小限の被害で済みそうです。
by sarusan (2014-08-19 14:44)
sarusan さん こんにちは。水害に拠る菜園の被害が最小限とのこと・・・丹精が無に成らなくてよかったですね。 ^^
by 般若坊 (2014-08-19 17:41)
当時の流行作家という感じですね。
華麗で私は好きです。
by U3 (2014-08-19 19:12)
U3 さん こんばんは。確かに当時の流行作家であったことは確かですね。
シュトラウスと云う名前はお父さんの時代から宮廷では知られていましたから、
その息子が父に勝る当世風のワルツをバンバン発表するので、もてはやされた気がしますね・・・ ^^
by 般若坊 (2014-08-19 19:48)