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085 : Franz von Suppé [楽興の時]

 

 

 

Franz von Suppé

 




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Franz von Suppé


















フランツ・フォン・スッペ(Franz von Suppé, 1819418日ダルマチア地方スプリト - 1895521日ウィーン)は、オーストリアの作曲家。

オペレッタとその序曲で有名。指揮者や歌手としても活動した。ズッペの表記も多い。








 

 

 


 

♪ウィーンのオペレッタ界の頂点を極めた作曲家 


「そうだ!私が作りたかったのはこういう楽しい歌劇なんだ!」 ウィーンで初めて上演されたオッフェンバックのオペレッタを観たスッペは興奮で膝を叩きながらそう叫びました。 


当時、ドイツではワーグナーが、イタリアではヴェルディが壮大なオペラ作品を次々と発表していました。

そんな中にあってスッペは、より親しみやすく気軽に楽しめるライト・オペラ=喜歌劇の創作に力を注ぎました。


 

そして、パリのオッフェンバック、ウィーンのスッペとまで言われるほどにオペレッタ界の頂点を極めたのです。ワルツ王、J.シュトラウス2世も「こうもり」などのオペレッタ作品が有名ですが、時代的にはスッペより10年ほど後発です。  

 

スッペの喜歌劇そのものは、現在ではほとんど上演される機会もありませんが、「軽騎兵」や「詩人と農夫」の序曲は演奏会以外でも、映画やCMなど様々な場でも取り上げられ親しまれています。















生涯


 

18世紀にダルマチアに移住したベルギー系貴族の家庭に生まれる。

遠戚にガエターノ・ドニゼッティがおり、本名はイタリア風のフランチェスコ・エゼキエーレ・エルメネジルド・スッペ=デメッリ(Francesco Ezechiele Ermenegildo, Cavaliere Suppé-Demelli、カヴァリエーレ(Cavaliere)はイタリア語で騎士階級のこと。Ritter に相当)といった。

ウィーン在住中に氏名をドイツ語風に簡略化し、さらに Cavaliere に代えて von を用いるようになった。

このため、ドイツ語圏以外の地域では、Francesco Suppé-Demelli の呼び名もみられる。 

幼年期に音楽の手ほどきを受けて作曲を試みる。

10代のときクレモナでフルートと和声法を学ぶ。

現存する最初の作品は、1832年に地元のフランシスコ会の教会で初演されたカトリック典礼のミサ曲である。

パドヴァに移って法学を専攻するかたわら、音楽の学習を続けた。

ウィーンに出てイグナツ・ザイフリート(Ignaz Seyfried)と、晩年のフランツ・シューベルトやアントン・ブルックナーの対位法の師として高名なウィーン音楽院のジーモン・ゼヒターに入門した後、無報酬でヨーゼフシュタット劇場を指揮した(だが後に、同劇場で自作を上演できるようになる)。

ヨーゼフシュタットやレオポルトシュタットのほか、アン・デア・ウィーン劇場、バーデン歌劇場の公演のために、しめて100曲以上の作品を作曲した。





 

 










軽騎兵とは?


軽騎兵は、甲冑のような防具を身につけないか、軽装備の防具のみを身につけ、弓・投槍やカービン、ピストルなどの飛び道具の他、剣や刀、槍などを操り、戦闘を行う。

他の騎兵部隊と同様に数が上回る敵に対して突撃をためらわない勇気が賞賛され、また略奪を頻繁に行うことから荒くれものの集団と同一視されていることが多い。

無防備な集落や補給部隊の襲撃、略奪や敵情の偵察に多大な効果を上げたが、弓矢などの投射武器や長槍を装備し、規律の取れた部隊に対しては必ずしも有利といえるわけではなかった。

また、馬の管理は想像以上の手間がかかり、長期にわたる攻城戦では足手まといとなることが多かった。

渡河戦では水や泥に足を取られて苦戦することもあり、船の輸送では疫病によって馬が大量死することも多い。 

重騎兵と共通する点の1つは、部隊の育成に手間がかかることであり、一度壊滅的な打撃を受けた場合には建て直すのには長い時間がかかったことである。

再編できるまでは兵力が大きく低下することもあった。

熟練した乗り手になるには数年かかり、馬上で満足に戦闘が行えるようになるまではさらに数年がかかった。

そのため、住民の大半が潜在的な軽騎兵である遊牧民社会以外では、その育成に非常な労力を要した。

また、重騎兵と同じように時には、下馬して銃や弓、槍での戦列に加わることもあった。




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作品 


スッペのオペレッタのうち、「ボッカチオ」(Boccaccio)と「ドンナ・フアニータ」(Donna Juanita)2曲がニューヨークのメトロポリタン歌劇場でも上演されたが、レパートリーに定着することはできなかった。

しかしヨーロッパでは一定の頻度で上演が続いており、ウィーンフォルクスオーパーやモスクワ・アカデミー歌劇場が来日公演で取り上げたこともある。

ちなみに、生涯イタリアオペラ(とカルメン)に徹し、ドイツ物はほとんど歌わなかった大歌手マリア・カラスのデビュー演目は、「ボッカチオ」であった。 

日本では、大正時代に浅草オペラの台頭によってスッペのオペレッタが紹介され、とりわけ「ボッカチオ」のアリエッタ「恋はやさし野辺の花よ」が田谷力三の愛唱歌として普及された

「ベアトリーチェ」は「ベアトリ姐ちゃん」とタイトルを変え、榎本健一の歌でヒットした。 

スッペは30曲のオペレッタのほか、バレエ音楽など多数の舞台音楽を作曲した。

それらの大部分が忘却に追いやられている中で、「軽騎兵」や「詩人と農夫」の序曲が、映画やアニメーション、コマーシャルなどの音楽に転用され、ポップスのコンサートで演奏されている。

これらはヨハン・シュトラウスなどに比べ起伏を大きくとって豪快にオーケストラを鳴らす傾向があり、そのせいかカラヤン、ショルティ、スイトナーといった重厚長大系のレパートリーを得意とする大指揮者が好んでスッペ序曲集をアルバム化している。 

郷里のダルマチアとの縁を守り続け、時どきスプリトなどを訪れた。

作品のいくつかはダルマチアにゆかりがあり、とりわけオペレッタ「水夫の帰国」は、フヴァル島(Hvar)で起こった事件に基づいている。

指揮活動を引退してからスッペはオペラの作曲を続けたが、作曲の焦点を宗教音楽に切り替えた。

レクイエムや3つのミサ曲、交響曲、演奏会用序曲、歌曲を作曲した。





 


 




























































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YUTAじい

おはようございます。
また素晴らしい選曲で・・・懐かしく感じました。
後ほどゆっくり聴かせて戴きます・・・歴史感じさせて戴けました。
何時もありがとうございます。
by YUTAじい (2014-10-18 07:00) 

般若坊

YUTAじい さん おはようございます。朝夕は結構冷え込んできました。
いよいよ晩秋ですね。
今回の作曲家スッペは、日本のエンターテイメントとのつながりがあった事を知って、驚いています。
”恋は優しい野辺の花よ” ”ペアトリねえちゃん”の2曲を掲載してみましたので、お聴きください。 ^^
by 般若坊 (2014-10-18 07:57) 

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