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095 : Paul Abraham Dukas [楽興の時]







 

Paul Abraham Dukas

 













 

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Paul Abraham Dukas

 






ポール・アブラアム・デュカス(Paul Abraham Dukas [pɔl abʁaam dykɑːs]1865101 - 1935517日)はフランスの作曲家。





















♪ゲーテ作のバラードを華麗な管弦楽で見事に表現 

ポール・デュカスは1920世紀に活動したフランスの作曲家です。

14歳で独学で音楽の勉強を始め、17歳でパリ音楽院に入学。

その後は地道な音楽活動を続け、パリ音楽院の教授も務めました。 

デュカスは孤独を愛した完全主義者で、元来多作家ではない上に、1920年代には大半の自作曲を納得いかずに破棄してしまいました。

そうして残ったのは、わずかに13曲ほどだといいます。 

そんな自信作のひとつが交響的スケルツォ「魔法使いの弟子」です。

ゲーテの同名のバラードの仏語訳を原典としています。 

…ある日のことです。老いた魔法使いが雑用を弟子に言い残して旅立ってしまいました。

残された弟子は言い付けられた水汲みに飽き、箒に魔法をかけて代わりに仕事をさせますが、未熟な弟子の魔法のため床は水浸しに。

 魔法を解く呪文を知らない弟子は困り果て、鉈で箒を真二つに割ってしまいます。

ところが今度は箒が2本となって、更にすごい勢いで水を汲み出し、辺りは洪水のようになってしまいました。

そこへ師の魔法使いが帰ってきて、たちまちこれを鎮め、弟子を叱りつける…という物語です。 

デュカスの交響詩はこれに沿って、音楽で情景を描写していきます。

フランクに学び、同世代のドビュッシーらの影響も受けた彼の音楽は、伝統的な構築性とフランス的な色彩感が融合した独特の世界をもっています。 

「魔法使いの弟子」といえば、ミッキーマウスが弟子に扮した、ディズニー映画「ファンタジア」での使用が特に有名です。

ディズニーは映画化にあたり、当時の名指揮者ストコフスキーに直接話を持ちかけ、数曲のクラシック曲を選んで映像化しました。

 映画での「魔法使いの弟子」は、ストコフスキーによるオリジナル編曲です。冒頭のピチカートを省略したほか、随所に手が加えられています。















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経歴

 1865 - パリでユダヤ人の家庭に生まれる。

1879 - 独学で音楽の勉強を始める。

1882 - パリ音楽院に入学。和声をデュボワ、作曲をギローに学ぶ。

1891 - 管弦楽曲《序曲『ポリュクト』》で注目される。

1902-1917 - この間、新聞や雑誌に評論を発表。ベートーヴェン、スカルラッティ、サン=サーンスら作曲家の作品の編曲、ピアノ連弾曲への編曲などを行う。

1910 - パリ音楽院の管弦科教授。

1927 - パリ音楽院の作曲科教授。

1934 - フランス学士院会員に選ばれる。

1935 - パリにて死去。 

デュカスは孤独を愛し、作品は完璧を目指すため、1年に1作、あるいは『アリアーヌ』のように10年を要したものもあった。

1920年代には大半の作品を破棄してしまい、今日残るのは20曲ほどと言われる。

同世代のクロード・ドビュッシーとは親しく交際していた。

作曲家の弟子としてメシアン、デュリュフレ、ポンセ、ロドリーゴらがいる。彼がメシアンに与えた助言「鳥の声を聞きたまえ」は、メシアンのその後の作曲の根本的な言語の一つとなった(ただし、本人はデュカスに言われる前から鳥の声に注目していたようだ)。




















青年期 

1865101日、銀行家の父ジュール・デュカス、ピアニストだったウジェニーの次男としてパリで生まれた。

ウジェニーはポールが5歳の時にピアノのレッスンを受けさせたが、彼は14歳になるまで特段音楽の才能を示さなかった(彼が5歳の時、ウジェニーは第三子マルグリット・ルーシーを出産後に世を去ってしまう)。

1881年の終わりに16歳でパリ音楽院に入学し、ジョルジュ・マティアスにピアノ、テオドール・デュボワに和声法、エルネスト・ギローに作曲を師事。

この時出会った音楽院の同僚、ドビュッシーとはこの後生涯続く友情を結ぶこととなる。

ごく初期の作品に、序曲『リア王』(1883年)、序曲『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』(1884年)等がある。1886年には対位法とフーガで一等を得、1888年作曲のカンタータ『ヴェレダ』ではローマ大賞第二等を含むいくつかの賞を獲得したものの、翌年は入賞できなかった。

失望したデュカスは1889年に音楽院を去り作曲家の道を捨て、ルーアンで従軍する。

しかし同地の軍楽隊でバンドマスターと知遇を得たのが契機となり、除隊後に作曲家および音楽評論家としてのキャリアをスタートさせることとなる。




















1890年代 

評論家としてのデュカスは『週刊批評(Revue Hebdomadaire)』、『音楽批評』、『芸術紀(Chronicle des Arts)』、『芸術新報(Gazette des Beaux-Arts)』の各誌上で活躍し、400を超える評論を執筆した。

時には自作品に対しても厳しく批評を行った。

もともと完璧主義者の彼だったが多くの評論を執筆したことでより徹底され、上記のように自身の作品の多くが破棄されることとなった。 

作曲家としては、1892年にラムルーの演奏会によって初演された序曲『ポリュークト』で本格的なデビューを果たした。

コルネイユ作の悲劇に基づいたこの序曲は、同時代の多くのフランスの作品のようにワーグナーやフランクの影響を見せながらも、すでにデュカスの個性が表れ始めている。

『ポリュークト』の成功の後、1892年に自身の台本『ホーンとイムニルド』によるオペラ作曲に着手した(結局1幕のみを作曲し未完)。

彼唯一の交響曲『交響曲ハ長調』(1895 - 1896年)では、ドイツ音楽にみられる構造性の中に印象派に代表されるモダニズムを昇華させることに成功し、(初演は賛否両論あったものの)自身に大きな実りをもたらし、この後彼の最も有名な作品である、交響的スケルツォ『魔法使いの弟子』(1897年)を生み出すこととなる。


























 

1900年以降 

『魔法使いの弟子』の後、2つの大規模なピアノ作品『ピアノソナタ変ホ短調(英語版)』(1901年)、『ラモーの主題による変奏曲・間奏曲・フィナーレ(英語版、フランス語版)』(1903年)を作曲する。

特に『ピアノソナタ』は彼の代表曲であるのみならず、「デュカスの中だけでなく、フランスピアノ音楽史史上最も野心的な作品」ともいわれている。

十分にレパートリー化されているとは言い難いものの、デュカスの弟子であるジャン・ユボー、フランソワ=ルネ・デュシャーブル、最近でもマルカンドレ・アムラン、マーガレット・フィンガーハット等多くの演奏家が定期的に取り上げている。 

1899年には2度目のオペラ『アリアーヌと青ひげ』の作曲に取りかかり、7年後に完成、1907年に初演が行われ、多くの称賛とシェーンベルクら同時代の作曲家の関心を獲得した。

この作品は、同じくメーテルリンクの戯曲が用いられたドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』と音楽的な類似性がある(デュカス自身も意図的にドビュッシーの作品から引用を行っている)。

彼の最後の主要な作品はロシア・バレエ団によって委託されたバレエ『ラ・ペリ』(1912年)であった。 

1916年、スザンヌ・ぺレイア(1883 - 1947年)と結婚、スザンヌは191912月に娘のエイドリアン・テレーズを出産した。























 

晩年 

晩年には作曲の教師としても知られるようになった。

シャルル=マリー・ヴィドールが1927年にパリ音楽院での作曲科の教授を退任すると、デュカスが後任に任命された。

また、パリのエコール・ノルマルでも教鞭を執った。

『ラ・ペリ』以後創作からは離れていたが、1920年には、1918年に亡くなった生涯の友ドビュッシーへの追憶となる『牧神の遥かな嘆き』を、1924年には詩人のド・ロンサール生誕400周年を記念した『ロンサールのソネット』を作曲している。 

1934年にフランス学士院会員に選出される。

1935517日、69歳でパリにて永眠。

パリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬されている。





























教え子達
 

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パリ音楽院でのデュカスの作曲クラス(1929年)。左後列2人不明、左前列よりピエール・マイヤール=ヴェルジェ、エルザ・バレーヌ、イヴォンヌ・デポルト、トニー・オーバン、ピエール・ルヴェル、ジョルジュ・ファーヴル、ポール・デュカス、ルネ・デュクロ、ジョルジュ・ユゴン、モーリス・デュリュフレ。右前列椅子、クロード・アリュー、オリヴィエ・メシアン。














 
   
  










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コメント 10

takenoko

魔法使いの弟子以外の曲の存在を初めて知りました。ありがとうございました。
by takenoko (2015-01-10 06:36) 

YUTAじい

おはようございます。
今日もまた・・・曲と作者の繋がりを知る事出来ました。
何時もありがとうございます。
by YUTAじい (2015-01-10 07:32) 

般若坊

takenoko さん おはようございます。デュカスというとこの曲が浮かびますね。こうやってその作曲家の作品を掘り起こして、ご紹介する事が出来てうれしいです。
by 般若坊 (2015-01-10 09:01) 

般若坊

YUTAじい さん おはようございます。今朝も結構冷え込みましたね。9時でも北側のバルコニーは0℃です。 YUTAじい さんの好奇心には敬服しております。
by 般若坊 (2015-01-10 09:04) 

ゆうみ

深いお話ありがとうございました。

元婿殿 こちらの方も覗いてるようですが 元気で安全な暮らしをしていれば
いいなと切に願ってます。
by ゆうみ (2015-01-10 11:04) 

般若坊

ゆうみ さん こんにちは。そうですね・・・元気でやってくれる事を願っています。
by 般若坊 (2015-01-10 12:13) 

てんてん

僕もホルンやってました^^;
高校の九州大会で、SONYの吹奏楽団からスカウト受けたんですけろね^^;
この曲は知りませんでした(ヘ;_ _)ヘ…ウウウウウ
by てんてん (2015-01-10 19:23) 

般若坊

てんてん さん こんばんは。すごいですね!SONYの吹奏楽団からスカウトですか!
きっと良い音と素晴らしいテクニックで 楽団に加わってほしかったのでは?で、入団されたのでしょうか・・・
ホルンといえば、ブラームスあたりではないでしょうか。デュカスはマイナーでは?
ちなみにブラスバンドでホルンを吹く人は、緻密で理屈屋という通説がありますが・・・気にしない、気にしない! ^^
by 般若坊 (2015-01-10 20:25) 

sig

ディズニーの「ファンタジア」における「魔法使いの弟子」は最高に好きなアニメです。8台のピアノ演奏はすばらしいですね。ピアノがKAWAIというのもうれしいです。
by sig (2015-01-10 20:48) 

般若坊

sigさん こんばんは。このアニメ動画をごらんになって、sigさん ならもっと深い啓示をうけられたのかな~ と思っています。ディズニーの素晴らしいところですね。
日本は洋楽においてかなりのハンディキャップを背負っていますが、ヤマハ、カワイ等々楽器の製造においては、世界に冠たる評価を得ているようです。ヨーロッパ、アメリカ等の向こうを張って、嬉しい限りです。
世界的コンクールや演奏会に使用されている、これらのブランドのピアノを見ると誇らしいですね! ^^
by 般若坊 (2015-01-10 20:57) 

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