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098 : Antonín Leopold Dvořák [楽興の時]

 




Antonín Leopold Dvořák














 

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Antonín Leopold Dvořák

 




アントニン・レオポルト・ドヴォルザーク(チェコ語:Antonín Leopold Dvořák [ˈantɔɲiːn ˈlɛɔpɔlt ˈdvɔr̝aːk] Cs-Antonin Dvorak.ogg 184198 - 190451日)は、チェコの作曲家。

チェコ国民楽派を代表する作曲家であり、後期ロマン派を代表する作曲家というにとどまらず、クラシック音楽史上屈指の人気作曲家でもある。

なお、チェコ語の発音に近いアントニーン・レオポルト・ドヴォジャークの表記が用いられることもある。

ブラームスに才能を見いだされ、『スラヴ舞曲集』で一躍人気作曲家となった。ベドルジハ・スメタナとともにボヘミア楽派と呼ばれる。その後、アメリカに渡り、音楽院院長として音楽教育に貢献する傍ら、ネイティブ・アメリカンの音楽や黒人霊歌を吸収し、自身の作品に反映させている。

代表作に、弦楽セレナード、管楽セレナード、ピアノ五重奏曲第2番、交響曲第7番、交響曲第8番、交響曲第9番『新世界より』、スラヴ舞曲集、この分野の代表作でもあるチェロ協奏曲、『アメリカ』の愛称で知られる弦楽四重奏曲第12番などがある。







 

 

3大交響曲に数えられる名曲


3大交響曲のひとつとされる「新世界より」から第1楽章です。

ナショナル音楽院の院長として招かれたドヴォルザークが、遠く離れた異郷の地アメリカから故郷ボヘミアを想い、その望郷の念を示した音楽による手紙のような作品です。

2楽章は「家路」として歌にもなり有名ですが、やはりこれも「第九」と同じで一番聴き応えがあるのは音楽的内容も充実した第1楽章だと思います。

特にコーダに向けての盛り上がりは圧倒的で、3大交響曲の名にふさわしい威厳さえ感じさせます。







 

 

♪アメリカ時代に生まれたチェロ協奏曲の傑作


ニューヨークに新設されたナショナル音楽院の学院長として招かれたドヴォルザークですが、元来純朴で田舎好きな彼は、次第にアメリカでの生活にストレスを感じるようになり、ついにはまだ契約途中であるにも関わらず、音楽院を去り故郷のボヘミアへ帰ってしまいます。

チェロ協奏曲はその直前に書かれました。

アメリカ時代のドヴォルザークは他に交響曲「新世界より」、弦楽四重奏曲「アメリカ」といった彼を代表する作品を残しています。

ハイドンやシューマン、サン=サーンスなども書いたチェロ協奏曲ですが、内容を総合的に見てまず筆頭にあげられるのが、ドヴォルザークのチェロ協奏曲です。

この曲はチェロ協奏曲の枠を越えて、チャイコフスキーのピアノ協奏曲やメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲と並んで、大きく「3大協奏曲」としてコンサートで取り上げられることもあります。

師匠のブラームスは最晩年、この曲を聴くと「チェロでこんな曲が作れると知っていたなら、私もとっくに書いていただろうに」と悔やんだといいます。

1楽章はチェロ独奏の登場まで4分近くあるほど、伴奏のオーケストラが充実しています。

ホルンが奏でる牧歌的な第2主題の部分は、全曲中でも特に印象的なシーンです。

 












 

 

 

♪胸に染み入るような若き日の名作


34歳の青年がわずか10日余りで書き上げた若き日の名作です。

この頃のドヴォルザークは国費奨学生に合格したわずか3ヶ月後で、オーストリアからの奨学金により生活も安定していました。

2年前に結婚した妻との暮らしも、穏やかで幸福なものでした。

そんな満ち足りた感情がこの曲には表れていると言われます。

ドヴォルザークは才能ある優れたメロディーメイカーとして、同じく名旋律を数多く残したチャイコフスキーとよく比較されます。

チャイコフスキーもまた有名な弦楽セレナーデを作っていますが、ドヴォルザークの方にはチャイコフスキーのような派手さはないものの、地味ながら染み入るような深い味わいがあります。

人生について大風呂敷を広げるような内容ではありませんが、例えば日曜日の午後、何も考えずにゆっくりとお茶でも飲みながら聴きたくなるような、親しみやすく美しい音楽です。












 

 

 

♪哀愁漂う旋律が魅力


 師匠であるブラームスの「ハンガリー舞曲」に倣って、ドヴォルザークがスラヴ民族の民謡や舞曲を基に作曲したのがこの「スラヴ舞曲」です。

それぞれ8曲からなる第1集と第2集があります。

共に最初はピアノ連弾用に書かれましたが、あまりの大成功にすぐさま管弦楽版も出版されました。

今回お届けする第2集第2番は、第1集からの通し番号で「スラヴ舞曲第10番」として、単独で演奏されることも多い有名曲です。

 

 













音楽史上の位置づけ

ドヴォルザークは西洋音楽史上、後期ロマン派に位置する作曲家である。

この時代にはドイツ・オーストリア、イタリア、あるいはフランスといった音楽先進地域の外で国民楽派が勃興し、ドヴォルザークは、1歳年上のピョートル・チャイコフスキー(ロシア)、2歳年下のエドヴァルド・グリーグ(ノルウェー)らとともに、同楽派を代表する存在である。

同時に、ベドルジハ・スメタナとともにチェコ国民楽派あるいはボヘミア楽派の創始者の一人として、ドヴォルザークはレオシュ・ヤナーチェクを初めとする以後の作曲家たちに大きな影響を与えた。

ドヴォルザークは、ワーグナー派対ブラームス派の対立が明らかとなった時代に学習期を迎えている。

1860年代後半、彼はワーグナーの音楽に心酔し、プラハでワーグナーのオペラを常時上演していたドイツ劇場(スタヴォフスケー劇場)に足繁く通った。

1871年に作曲したオペラ『王様と炭焼き』第1作には、ライトモティーフの使用や切れ間なく続く朗唱風の音楽に、ワーグナーの影響が明らかに見て取れる。

しかし、この作品は失敗作と見なされ、初演を迎えることはなかった。

ドヴォルザークは、この『王様と炭焼き』第1作と全く同じ台本に異なった音楽をつけ、ナンバー・オペラに仕立てた『王様と炭焼き』第2作以降、徐々にワーグナーの影響下を脱していく。

こうしたドヴォルザークの才能にいち早く着目したのは、ワーグナーと相対していたブラームスである。

ドヴォルザークは、ブラームスや「ブラームス派」の音楽評論家エドゥアルト・ハンスリックらの推挙によって作曲家としての地位を築いた。

彼は、こうした先人たちの残した豊かな遺産を十全に活用し、ワーグナーから学んだドラマ性、ブラームスも着目する構成力を高い次元で兼ね備えた作曲家であった。

とはいえ、ドヴォルザークの音楽をとりわけ魅力的にしているのは、シューベルトと並び賞される、その親しみやすく美しいメロディーである。

彼の交響曲第9番の第2楽章は、日本語の歌詞がつけられて唱歌「家路」として親しまれるだけでなく、学校やデパートなどの終業時刻を知らせるメロディーとしても多く利用されている。

ピアノ曲『ユーモレスク』変ト長調(Op.101-7, B.187-7)はフリッツ・クライスラーによるヴァイオリン独奏をはじめとする様々な編曲で演奏され、耳に馴染んでいるメロディアスな作品である。

また、歌曲『我が母の教えたまいし歌』は、クラシック音楽の声楽家のみならず、ポピュラー・シンガーによっても愛唱されている。









 





アメリカ音楽史への影響

ナショナル音楽院は、作曲の学校を創設するという目的のために創設された音楽院であった。

創始者のジャネット・サーバー夫人は、メトロポリタン歌劇場に対抗して、アメリカ人作曲家による英語のオペラ上演を行うことが夢であった。

すなわち、この音楽院は、アメリカにおける国民楽派の創立を目指す拠点としての位置づけにあった。

チェコ国民楽派の大物作曲家であったドヴォルザークを招聘した目的もアメリカ国民楽派創立に向けての音楽教育、特に作曲分野での充実を図る狙いがあった。

ドヴォルザークがアメリカに到着した直後に、サーバー夫人はアメリカ人作曲家のためのオペラ賞の設立を発表している。

しかし、アメリカ時代のドヴォルザーク門下からは特筆するような作曲家や音楽作品は生まれず、サーバー夫人のもくろみは直接的には果たされなかった。その理由として、基本的な音楽教育が不備でありナショナル音楽院の学生のレベルが高くなかったこと、ドヴォルザークが教鞭を執った期間が短すぎたこと、ドヴォルザーク自身がネイティブ・アメリカンの音楽や黒人霊歌を研究・吸収することに時間を費やし実践的教育にまで至らなかったことなど、さまざまな憶測がなされている。

しかし、これはドヴォルザークが以後のアメリカ音楽の発展に寄与しなかったということには当たらない。ドイツを範とする傾向が強かった当時のアメリカの作曲界に、国民音楽の潮流を生み出したことは間違いない。

渡米8ヶ月後の1893521日、「ヘラルド・トリビューン」紙上に『黒人の旋律の真の価値』と題するドヴォルザークの論文が掲載された。

また1895年、チェコに帰国した後ではあるが、ニューヨークの音楽雑誌に『アメリカの音楽』と題する論文を発表している。これらの論文を通してドヴォルザークは、黒人やネイティブ・アメリカンの音楽の豊かさを啓発したのだった。そして、その主張を何よりも雄弁に物語ったものは、交響曲第9番「新世界より」、弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」、チェロ協奏曲といった彼自身の音楽作品そのものであった。

これらの作品は、スラヴ的であると同時にアメリカのフォークロアの影響が表れており、アメリカの国民音楽創設の可能性を示す作品でもあった。

ドヴォルザーク門下生たちは、黒人霊歌やジュビリーを素材とした短い歌曲やピアノ曲を少なからず作曲し、出版したし、直接ドヴォルザークとの接触を持たなかった他の作曲家たちも似たような傾向を持つ楽曲を作り始めた。

ドヴォルザークはアメリカの音楽愛好家に深く愛され、チェコに帰国するころまでには作品のほとんどがアメリカ初演を終えていた。

ニューヨーク・フィルハーモニックはアメリカ音楽の興隆に寄与したことを感謝し、ドヴォルザークを名誉会員に推挙したのであった。

 

 

   
   
    









 

主な作品



ドヴォルザークの作品には作品番号のないものもあり、また作曲順になっていないものも多い。

このためヤルミル・ブルグハウゼル(ブルクハウザー)(Jarmil Burghauser)の整理番号が併記される場合がある。この整理番号は通常「B.」で略記され「B番号」と呼ばれる。

交響曲

管弦楽曲

協奏曲

室内楽曲

器楽曲

ピアノ独奏曲

声楽曲

歌曲

歌劇

編曲








 

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てんてん

新世界は、高3の定期演奏会で全楽章演奏しました。
当時、吹奏楽の1stホルン1名で新世界を全楽章演奏するのは奇跡と言われました。
吹奏楽より楽な管弦楽でも1stホルンは交替で演奏するんです。
終楽章の最後、視界が外側から暗くなって行き やがて真っ暗に
気付いたら舞台の上で椅子に座ったまま伏せ状態でした^^;
時間にして1~2分気絶してました( (ミ`エ´ミ)) ククク・・
by てんてん (2015-01-31 00:46) 

YUTAじい

おはようございます。
今日は押し逃げ御免なさい・・・
何時もありがとうございます。
by YUTAじい (2015-01-31 07:01) 

般若坊

てんてん さん おはようございます。 ^^
新世界の雄大さを表現するのに、ドボルザークはホルンを主体に旋律を構成していますね。
これを一人でがんばられたんですか・・・ きっと終盤は軽い酸欠になられたんでしょう。
ホルンは、吹奏楽器のなかで一番小さいマウスピースですから、音程も外れやすくその緊張の度合いは、察するに余りあります。
なるほど・・・sonyの楽団からお声が掛かるわけですね・・・ ^^
by 般若坊 (2015-01-31 07:46) 

般若坊

YUTAじい さん おはようございます。いつもありがとうございます。
今日は家内のお供で、五輪真弓のコンサートに行ってきます。
息子が、家内の誕生プレゼントにチケットを用意してくれ、私はその従者というわけです。 ^^;
by 般若坊 (2015-01-31 07:50) 

kuwachan

中学の時ブラスバンド部に入っていて、その時に「新世界」はやりました。
その頃のことが久し振りに懐かしく想い出されました。
by kuwachan (2015-01-31 11:11) 

般若坊

kuwachan さん こんにちは。
kuwachan さんもブラスバンドをやっておられたんですか・・・
中学でかなり大作をやられたんですね・・・楽器はなんだったんでしょうか? ^^
by 般若坊 (2015-01-31 11:18) 

ゆうみ

ネット環境が悪くて動画を見ることができず残念です。
戻ってきたらゆっくり聞かせてくださいね。
by ゆうみ (2015-01-31 17:57) 

般若坊

ゆうみ さん こんばんは。どうでしょうか?ネット環境改善されましたか?
by 般若坊 (2015-01-31 21:35) 

般若坊

今日は相模女子大グリーンホールで行われました、五輪真弓のコンサート『~時をみつめて~』に行ってきました。
座席数1800人の会場は満員で圧倒的に老人が多く、夫婦連れが大部分でした。考えてみれば、彼女も既に還暦をすぎているわけですから、当然ですよね。
いつまでも若くはないですが、その歌唱力は素晴らしく感動しました。
20数曲歌いましたが、やはり五輪真弓というと”恋人よ・・・”につきるのではないでしょうか。
感動と共に万雷の拍手でした。 ^^
by 般若坊 (2015-01-31 22:39) 

ponnta1351

ユモレスクは余りにも有名。
子供の頃、酔った父親が顎を引いて低音のバス紛いで新世界歌ったのを思い出しました。

ところ敗戦後米国に押し付けられた憲法。9条が有るから平和で居られるなんてとんでもないと思います。
今回の件も安易にジャーナリストと名乗る者には良い見せしめではないでしょうか? そう、思って居る人は多いと思いますよ。
ここでまた、色々取りざたされて非難される人、同情される人、悪い情報は操作され、真実の見えないTVのネタに事欠かない事でしょう。
by ponnta1351 (2015-02-01 15:17) 

般若坊

ponnta1351 さん こんにちは。日曜の朝そうそう やっぱりか! というニュースが飛び込んできましたね。
TVではこんなに居たのか・・・と思うほど、中東専門家と称するコメンテーターがぞろぞろと登場し、あることないこと しゃべりまくり、一見心配しているかのような番組構成で、視聴率を稼いでいますね。
誠にもってお花畑で、中東専門家から ”決して行ってはならい” というコメントを聞いたことがありません。
それどころか、例の朝日新聞は特派員をシリアに派遣して、従軍記者もどきの取材を行う有様!捕まったら朝日はどのような言い訳をするすもりでしょうかね。ジュネーブ協定もなにも通用しないのに・・・
憲法9条で日本の平和が維持されている、とする9条教の人たちは”憲法9条”と記されたハチマキを巻いて、どうぞISILに行ってほしいですね。自己責任で・・・ その考えが正しければ、おそらく生きて帰れるでしょう。 ^^
by 般若坊 (2015-02-01 15:55) 

ryuyokaonhachioj

今晩は!
薔薇の花素敵です。好きな花なんです。
by ryuyokaonhachioj (2015-02-01 19:55) 

般若坊

ryuyokaonhachioj さん こんばんは。綺麗な清純な薔薇でしょう。
ネットからの借り物です。お気にいられたら、DLをどうぞ・・・ ^^
by 般若坊 (2015-02-01 20:04) 

soda

チェロ協奏曲ほか堪能致しました♪
ユモレスク第7番は聴きなれていて落ち着きますね^^
by soda (2015-02-02 17:47) 

般若坊

soda さん こんばんは。コメントありがとうございます。
そうですね・・・チェリストも一流ですが、このスラブ情緒がなんとも良いですね。
今ロシアの周辺は遠慮なく冷え込んでいるでしょうね・・・
真っ赤に焼けたストーブのそばで、ウォッカ片手にニシン漬をほうばっていた頃の、スラブ・ロシアを想像してしまいます。 ^^
by 般若坊 (2015-02-02 18:33) 

あとりえSAKANA

こんにちは!
ドヴォルザークは小さなころから
好きな作曲家でした。
今聞いても、抒情的で重厚な音色は
やはり変わらず好きです。
懐かしく聞きました(*^m^)
by あとりえSAKANA (2015-02-03 17:30) 

般若坊

あとりえSAKANA さん こんばんは。彼の曲は多感な少年、少女たちに開明的な情緒を与えるようですね。
ユーモレスクなど、私も小学生時代アコーデオンで演奏した、懐かしい曲ですよ。 ^^
by 般若坊 (2015-02-03 18:39) 

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