103 : Riccardo Eugenio Drigo [楽興の時]
Riccardo Eugenio Drigo
Riccardo Eugenio Drigo
リッカルド・エウジェニオ・ドリゴ(Riccardo Eugenio Drigo, 1846年6月30日 パドヴァ - 1930年10月1日 同地)は、イタリアのバレエ作曲家、指揮者。ロシア・サンクトペテルブルクの国立バレエ団(Imperial Ballet)のカペルマイスターおよび音楽監督としての長いキャリアで知られる。
♪昭和初期の日本で軽音楽として流行
「ドリゴのセレナーデ」の名で知られる「愛のセレナーデ」の作者として有名なリカルド・ドリゴは、19世紀から20世紀にかけて活躍したイタリア出身の作曲家、指揮者です。
音楽家としては主に、ロシアのペテルブルグの劇場でバレエ音楽の作曲や指揮などをしていましたが、ロシア革命以降はあまり恵まれない環境となり、故郷のイタリアへ帰ってそこで亡くなるまで過ごしています。
「愛のセレナーデ」はほとんど唯一といっていいドリゴの代表作で、自作のバレエ音楽「百万長者の道化師」の中の1曲です。
日本には昭和16~18年(1941-43)頃に紹介され、ラジオから流れるその音楽に多くのファンが心躍らせたようです。
当時の日本ではクラシックほど重くなく、流行歌ほど軽くない軽音楽(今でいうイージーリスニング)が登場し、とても人気を博していました。
この曲も原曲よりそうした軽音楽にアレンジした形で聴かれるのが一般的だったようです。
ドリゴはパドヴァで家族の友人Antonio Jorichに音楽を習った後、ヴェネツィアの音楽学校でアントニオ・ブッツォーラ(ガエターノ・ドニゼッティの教え子)に師事した。
彼はピアノ教師を務め、また故郷で作曲家・指揮者として成功を収めた。1878年にドリゴはロシアへ移住し、この地で40年以上を過ごすこととなった。1879年、彼はサンクトペテルブルクでイタリア・オペラの指揮者に任命された。
1886年に彼はこの地位を辞して、国立バレエ団の指揮者・作曲家の地位に就いた。彼はロシアで最先端のダンサーや振付師たち(マリウス・プティパ、レフ・イワノフら)と共に活動した。
彼が最初に指揮したのはチャイコフスキーの『眠れる森の美女』と『くるみ割り人形』であった。
1899年、彼はプティパ振り付けのバレエ『海賊』(Le Corsaire, サンクトペテルブルク、1899年)第二幕の有名なパ・ド・ドゥの音楽を作曲した。
ドリゴ自身が作曲を行った作品もまた有名なものであった。
1900年に初演されたバレエ『百万長者の道化師』(Les Millions d'Arlequin)は、国際的な名声を得ることとなった。ドリゴは自主的に亡命のような状態に身を置いたものの、時折はイタリアを訪れ続けていた。
最終的に1920年、彼はロシア革命後のロシアに身を置けなくなり、パドヴァへと戻った。
その後、地元の劇場のためのバレエ作品を数作作曲している。1930年、故郷パドヴァにて逝去。84歳没。
「フローラの目覚め」
(別名 Flora's Awakening, または Le Réveil de Flore; 時折、誤って「花の目覚め」 The Flower's Reawakening あるいは The Reawakening of the Flowers と呼ばれることがある) -
リッカルド・ドリゴ作曲、マリウス・プティパ振付の陽気なアナクレオン風の1幕物のバレエ。台本を書いたのはマリウス・プティパとレフ・イワノフ。
このバレエは、クセニア・アレクサンドロヴナ(皇帝アレクサンドル3世と皇后マリア・フョードロヴナの娘)とアレクサンドル・ミハイロヴィチ大公の結婚祝賀典のために作られた。 初演は1894年7月28日(ユリウス暦、新暦では8月9日)で、ロシアのサンクトペテルブルクにあるペテルホフの劇場で帝室バレエ団が宮廷のために上演した。主な作品
バレエ
百万長者の道化師(Les Millions d'Arlequin)
魔法の笛(La Flute magique)
フローラの目覚め(Le reveil de Flore)
タリスマン(Le Talisman)
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