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109 : Leonard Bernstein [楽興の時]

 





 

Leonard Bernstein















 

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Leonard Bernstein







アカデミー賞ノミネート 1955年 アカデミードラマ・コメディ音楽賞:『波止場』




レナード・バーンスタイン (Leonard Bernstein, 1918825 - 19901014日)は、ユダヤ系アメリカ人の作曲家・指揮者である。

またピアノの演奏家としても知られている。

アメリカが生んだ最初の国際的レベルの指揮者になり、ヘルベルト・フォン・カラヤンと並んで、20世紀後半のクラシック音楽界をリードしてきたスター音楽家だった。

愛称はレニー。夫人のフェリシア・モンテアレグレはチリ出身の女優・ピアニスト。

19541118日、バーンスタインはCBSのテレビ・ドキュメンタリー・シリーズ「オムニバス」に出演し、ベートーヴェンの交響曲第5番の解説を行った。

これが一連の教育番組『青少年コンサート』(Young Peoples' Concert)の出発点となる。

ニューヨーク・フィルの常任指揮者就任の前年、39歳だった1957年に彼の代表作『ウエスト・サイド物語』が生み出された。

 情熱的できびきびした音楽作りが魅力でもあったバーンスタインは、晩年にはゆったりとした重厚な表現を好むようになる。

時には極めて主観的な演奏を展開し、楽譜から表現しうる限界といえるほどの感情移入も厭わなかった。

彼が最も愛した3つのオーケストラはニューヨーク・フィル、ウィーン・フィル、そしてイスラエル・フィルであった。  





















生涯

バーンスタインは、ウクライナ系ユダヤ人移民の2世として、マサチューセッツ州ローレンスに生まれる。

生まれた当初の名前はルイス(後にレナードに改名する)。父親サミュエルは敬虔なユダヤ教徒であった。

家族には音楽的な環境は全くなかったが、母親ジェニーが持っていた蓄音機の音楽に耳を傾けるのが大好きな赤ん坊だったという。理髪店を経営した父親の強い反対を押し切って、プロの音楽家の道を志した。

ボストン・ラテン・スクールを経て、ハーバード大学・カーティス音楽院で学ぶ。

彼が指揮者を志したのはディミトリ・ミトロプーロスの刺激だった。

指揮ではフリッツ・ライナーやセルゲイ・クーセヴィツキーに師事し、作曲はウォルター・ピストンに師事した。

ピアノはイサベラ・ヴェンゲーロワに師事している。

カーティス音楽院を卒業後、しばらく仕事を得られない時期があったが、1943年夏にアルトゥール・ロジンスキーの指名によりニューヨーク・フィルハーモニックの「副指揮者」(Assistant Conductor)に就任した。

19431114日、病気のため指揮できなくなった大指揮者ブルーノ・ワルターの代役としてニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団(現・ニューヨーク・フィルハーモニック)を指揮、この日のコンサートはラジオでも放送されていたこともあり一大センセーションを巻き起こす。

この時の曲目は以下の通りである。

ロベルト・シューマン『マンフレッド序曲』

ミクロス・ローザ(ハンガリー出身の作曲家、映画「ベン・ハー」の音楽などが代表作)『主題、変奏曲と終曲 Op.13a

リヒャルト・シュトラウス『ドン・キホーテ』(チェロ:ジョゼフ・シュスター、ヴィオラ:ウィリアム・リンサー)

リヒャルト・ワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕前奏曲

1958年、アメリカ生まれの指揮者として史上初めてニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任する。

バーンスタインとニューヨーク・フィルのコンビは大成功を収め、同フィルの黄金時代をもたらした。作り出す音楽の魅力、気さくでおおらかな性格、指揮者としての情熱的な指揮ぶり(興に乗ると指揮台上でジャンプすることもあった)などでファンを魅了し、スター性も備えていた。

CBSレコードと録音契約を交わした際には「彼の録音に際しては、録音曲目の決定をほぼ彼に一任する」待遇を受け、当時としては画期的なレパートリーも数多く録音した。

1969年にニューヨーク・フィルの音楽監督を辞任した後は常任指揮者等の特定のポストには就かず、ウィーン・フィル、イスラエル・フィル、バイエルン放送交響楽団、ロンドン交響楽団、フランス国立管弦楽団などに客演した。

ことに同じユダヤ系作曲家であるグスタフ・マーラーの交響曲の演奏は自ら“自分で書いたような気がしてくる”と言うほどで、数々の演奏を残した。

音楽解説者・教育者としても大きな業績を残し、テレビ放送でクラシック音楽やジャズについての啓蒙的な解説を演奏を交えて行った。

マイケル・ティルソン・トーマス、小澤征爾、大植英次、佐渡裕など多くの弟子を世に送り出したことでも有名である。

19858月に広島を訪れ、被爆40周年を悼むための「広島平和コンサート」を開催した。

1989年のクリスマスには、直前に起きたベルリンの壁崩壊を受け、ベルリンで東西ドイツ・アメリカ・ソ連・フランス・イギリスの各オーケストラの混成メンバーでベートーヴェンの交響曲第9番を指揮、この時第4楽章の「歓喜の歌」の“Freude”を“Freiheit(自由)”にして演奏し、東西冷戦終結を象徴する演奏会として記憶されることとなった。

また翌19906月にも、民主化されたチェコスロバキアのプラハの春音楽祭で同曲を指揮した。

これらのように音楽家として社会的なメッセージを発信する活動も数多く行ったが、時にはそうした行動が物議を醸すこともあった。

19906月には札幌でパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)を開始し、後進の育成にも力を入れようとしていたが、既にバーンスタインは病に冒されていた。

同年819日のタングルウッド音楽祭におけるボストン交響楽団との演奏(ブリテン:「4つの海の間奏曲」、ベートーヴェン:交響曲第7番)が最後の舞台となり、109日に指揮活動からの引退を表明する。

それから5日後の1014日に、肺癌のためニューヨーク市内の自宅で逝去した。

この年に高松宮殿下記念世界文化賞を受賞している。

バーンスタインは生涯に7度来日した。

































♪作曲家バーンスタインとしての代表作 

20世紀後半、指揮者としてカラヤンと人気を二分したバーンスタイン。

カラヤンが音楽をサウンドや様式美から作り上げたとするなら、バーンスタインは音楽の内に潜む精神性を徹底して掘り下げ、脇目も振らぬ主観的な表現で独自の世界を築いた人でした。 

年齢を重ねるほどその傾向は深まっていき、最晩年には音楽が崩壊するぎりぎりの線にまで至っていました。

あまりに極端なその演奏は傍から見れば滑稽かもしれませんが、一度はまった者にとってはそれ以外考えられないほどの魔力をも秘めています。 

音楽に限らずとかくきれいごとで済ましがちな現代の風潮にあって、まるで昔のスポ根のように、スマートではなくとも胸座に掴みかかってくるような表現をする指揮者でした。 

バーンスタインの音楽にはまず“人間”が存在するのです。

19731月、アメリカのニクソン大統領就任式の前夜に、祝賀演奏会がケネディセンターで開かれました。

ベトナム戦争を背景にオーマンディとフィラデルフィア管弦楽団は戦勝を意味するチャイコフスキーの序曲「1812年」を演奏。 

一方、バーンスタインはワシントン大聖堂で、有志による無料コンサートを開きました。

指揮したのは平和を祈る宗教曲、ハイドンの「戦時ミサ曲」。 

雨にも拘らず会場は満員で、外には12,000人が集まりました。

これがもとでニクソンに疎まれたバーンスタインは、以後、活動の拠点を米国外に置くようになります。 

他にも「広島平和コンサート」や東西ドイツ統一後の「第九」指揮など、音楽と人道的な活動が直結した人でもありました。 

作曲家としての代表作のひとつである「ウェストサイド物語」も、角度を変えれば争いの絶えない世界と、その中にあって輝く愛の尊さを描いた作品ともいえます。

 バーンスタインは常に平和な理想世界「Somewhere」を求めていたのかもしれません。Tonight」は対立する立場のトニーとマリアによる美しい二重唱です。





















エピソード

ヘビースモーカー

バーンスタインはヘビー・スモーカーとしても有名で、14歳の時に煙草を覚えたという。

煙草にまつわるエピソードも多く、1986年(68歳の時)には米国の新聞紙面で「私は20歳代の半ばに肺気腫の兆候があると診断された。煙草をやめなければ35歳までに死ぬと言われた」と語ったことがある。

著名なミュンヘンの音楽評論家であるヨアヒム・カイザーの談話によれば、彼は1日に煙草を100本(5箱)とウイスキー1本を飲む事を日課としていたという。

















 

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バーンスタインの作品の特徴

ウェスト・サイド物語

初期はブロードウェイ・ミュージカルで音楽活動の基盤を築き、その分野では早くから人気作曲家になっていた。

 いっぽうでシリアス・ミュージックの作曲家としては、交響曲第1番『エレミア』、交響曲第3番『カディッシュ』など、ユダヤ教の影響を受けた宗教的作品を数多く残している。

それらは宗教的なメッセージを孕みながら決して難解ではなく、むしろ時に啓蒙的な作風であるのが特徴と言える。

現代の「信仰の危機」というテーマを、ローマ・カトリックの典礼文を下敷きに、ミュージカルシアター作品として書き上げた『ミサ』は、大衆性と宗教的モティーフとの両面を統合した点で、作曲家バーンスタインを象徴する作品である。

 作風はひとことで言えば「折衷的」なスタイルで書かれたものが多い。

1つの作品の中で、ジャズやクラシックなどの様々な音楽の要素を巧みに織り交ぜることで、彼の生前には批判が多かった点の1つだった。

しかし現代にあっては、むしろ多様な表現様式の融合は音楽の潮流ともなっており、「ウェスト・サイド物語」「キャンディード」といったもともとミュージカルシアターのために書かれた作品がミラノ・スカラ座をはじめトップクラスの歌劇場で上演されるようになったのも、バーンスタインの作品への再評価の動きの表れである。













































主要作品

・交響曲 第1番『エレミア』 (Symphony No.1 "Jeremiah") (1942年)

・第2番『不安の時代』(ピアノと管弦楽のための) (Symphony No.2 "The age of anxiety") (1947-1949/1965年改訂)

・第3番『カディッシュ』(管弦楽、混声合唱、少年合唱、話者とソプラノ独唱のための) (Symphony No.3 "Kaddish") (1963/1977年改訂)

・バレエ『ファンシー・フリー』 (Fancy Free) (1944年)

・ミュージカル『オン・ザ・タウン』 (On the Town) (1944年初演)

・ミュージカル『ワンダフル・タウン』(Wonderful Town) (1953年初演)

・ミュージカル『ウエスト・サイド物語』 (West Side Story) (1957年初演)

・ミュージカル『キャンディード』 (Candide) (1956年初演/1989年最終改訂)

・オペラ『タヒチ島の騒動』 (Trouble in Tahiti) (1952年) この作品は後年に大幅な拡大改訂が施され、オペラ『静かな場所』 (A Quiet Place)となった。(1983年)

・クラリネット・ソナタ (Sonata for Clarinet and Piano) (1942年)

5つの子供の歌『私は音楽が嫌い』 (I Hate Music) (1943年)

・合唱曲『チチェスター詩篇』 (Chichester Psalms) (1965年)

・歌手と演奏家、踊り手のためのミサ曲 (Mass - A theatre piece for singers, dancers, and players) (1971年)

・合唱曲『ソングフェスト』 (Songfest) (1977年)

・前奏曲、フーガとリフ (Prelude, fugue and riffs) (1949/1952年改訂)

・映画『波止場』 (On the Waterfront)の音楽 (1954年)

・セレナード (Serenade) (1954年)

・バレエ『ディバック』 (Dybbuk) (1974年)

・政治的序曲『スラヴァ! (Slava! A Political Overture) (1977年)

・オーケストラのためのディヴェルティメント (Divertimento for Orchestra) (1980年)

・ハリル (Halil) (1981年)

・ピアノ曲『タッチズ』(コラール、8つの変奏とフーガ) (Touches - Chorale, Eight Variations and Coda) (1981年)

・アリアとバルカロール(メゾ・ソプラノ、バリトンと4手ピアノのための) (Arias and Barcarolles) (1988年)









指揮活動

レナード・バーンスタインの指揮活動は、大きく分けて3つの時期に大別することができる。

1943-1958年 デビュー・コンサートからニューヨーク・フィルハーモニック常任指揮者就任まで

1958-1969年 ニューヨーク・フィルハーモニック常任指揮者時代

1969-1990年 ニューヨーク・フィル常任指揮者辞任から晩年まで










































 

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バーンスタインとカラヤンの聴き比べ  チャイコフスキー:交響曲第6番

   








 

 

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あとりえSAKANA

佐渡裕さんの師匠と言う事と
カッコイイ曲を書く人と思っていましたが
wikiを見るといろんなエピソードが載って
いますねー。
やはりその人の「ひととなり」も知って
曲を聴くと、違いますね(^v^)

by あとりえSAKANA (2015-05-16 01:03) 

YUTAじい

おはようございます。
一度は聴いた曲・・・多々有ります、私には切れ良く心地良いです。
by YUTAじい (2015-05-16 07:20) 

般若坊

あとりえSAKANA さん おはようございます。
バーンスタインさんは、日本人の指揮者を育ててくれていますね。
小澤さん、大植さん、佐渡さんと日本の音楽界を支えている方々を です。
今 音大では演奏と指揮と作曲は分かれているようですが、それこそ大きなお世話ですね・・・音楽教師は出来ても音楽家は育ちません。
指揮、作曲、演奏はそれぞれの方が得意な物を、同時にやれば良いと思います。 
このブログの目的は、あとりえSAKANA さんが感じられた事を目的としています。
その曲の作曲者や背景を知って聴くと・・・より深い感銘が得られますから・・・^^
by 般若坊 (2015-05-16 09:41) 

般若坊

YUTAじい さん おはようございます。
ウエストサイドストーリーや波止場の旋律が耳に残っていますね。有名です。
バーンスタインと云うと、やはりクラシックの指揮者としての名声も高いですね。
おそらく多くの方がレコードやCDを大切にお持ちだと思います。 ^^
by 般若坊 (2015-05-16 09:47) 

sig

こんにちは。
バーンスタインの「ウエストサイド・ストーリー」は間違いなく私のミュージカル観を変えました。ジャズっぽいタッチが魅力的でした。
by sig (2015-05-16 15:10) 

般若坊

sig さん こんばんは。出かけていて遅くなりました。
sig さんにとってウエストサイドストーリーは、認識を新たにするミュージカルだったようですね。
確かに20世紀後半のクラシック界を代表する一人ですね。 ^^
by 般若坊 (2015-05-16 21:35) 

ponnta1351

暫くです。
余りにも有名で、私でも知っている人です。
懐かしい!「ウエストサイドストーリー」 リチャード・ベイマー、ナタリー・ウッド、ジョージ・チャキリス。
子供が未だ小さかった頃、観たくて母と新宿の映画館まで行きました。

ナタリー・ウッドは好きな女優の一人で、ロバート・ワグナーがご主人でしたよね。 生きていれば確か、私と同い年です。
by ponnta1351 (2015-05-18 12:48) 

般若坊

ponnta1351さん こんにちは。良い季節になりました。
バルコニーの薔薇達が一斉に咲き誇っています。それに誘われてもう一鉢買ってきました。アイスバーグ・・・雪のように白い薔薇で、素敵です。
ウエストサイドストーリー・・・ponnta1351さんも思い出の映画ですか。
レナードバーンスタインの作曲が別の人だったら、全く異なる映画となったかも・・・ ^^
by 般若坊 (2015-05-18 15:41) 

yoriko

バーンスタインがあの有名なウエストサイドストーリーを書いた人なんですね、あの曲を聴くと若かった当時を懐かしく思い出します。彼は天才ですね。
14歳から愛煙家だったとか1日に100本は話半分で聞いてもびっくりする本数です。長生きしたのでしょうか…
by yoriko (2015-05-18 16:55) 

般若坊

yoriko さん こんばんは。
ウエストサイドストーリーは、アーサー・ローレンツ脚本、レナード・バーンスタイン音楽、スティーヴン・ソンドハイム歌詞のブロードウェイ・ミュージカルで原案ジェローム・ロビンズと云う事のようです。
バンーンスタインの喫煙量100本/日は、まるで蒸気機関車のようですが、72歳まで生存していますから、喫煙と寿命はあまり関係ないみたいですね! ^^
by 般若坊 (2015-05-18 18:22) 

sig

カラヤンと比べるとバーンスタインの方が自分には合っているようです。
指揮される曲のジャンルからくるイメージでしょうか。
by sig (2015-05-19 08:40) 

般若坊

sig さん おはようございます。再訪ありがとうございます。
片やユダヤ系アメリカ人、片やオーストリア人という出自が、曲や指揮の解釈の違いに表れているような気がします。アメリカとヨーロッパとの環境の違いに拠るのかもしれません。
私はどちらかとと云うとカラヤンが好きですが、好みの問題ではないでしょうか・・・
二人が指揮している同一の曲を、Youtubeで調べて聴き比べて見たいと思います。 ^^
by 般若坊 (2015-05-19 09:10) 

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