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091 : 瀧 廉太郎 [楽興の時]

 

 

 

瀧 廉太郎

 








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瀧 廉太郎








瀧 廉太郎(たき れんたろう、1879年(明治12年)824 - 1903年(明治36年)629日)は、日本の音楽家、作曲家。明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人である。


















[ぴかぴか(新しい)]







♪時代を越えて愛唱される日本を象徴する歌曲  

瀧廉太郎は明治日本の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人です。 

日本人としては二人目となる、ヨーロッパ音楽留学生としてドイツに留学し、文部省外国留学生として入学、ピアノや対位法などを学びました。 

それまでの日本の唱歌は、外国の曲に日本語を無理にのせたものが主でしたが、日本人によるオリジナルな歌曲を最も早く作り始めたひとりが瀧です。

また、1900年には日本人作曲家として初のピアノ独奏曲メヌエットを書いています。  

外国人から見た日本の代表曲と言えば、「さくらさくら」と「荒城の月」だと言います。 

最近では坂本九さんの「上を向いて歩こう」などもこのうちに入るようですが、やはり古典的な名曲として、最初の二曲は現代でも不動のようです。  

「荒城の月」は1901年に行われた、旧制中学校唱歌の懸賞付きの募集に、瀧廉太郎が作曲して応募、入選したことがきっかけとなって世に出ました。 

作詞の土井晩翠は当時の影響力ある詩人にして英文学者でした。 

まずは晩翠が宮城県仙台市の青葉城址、同じく福島県会津若松市の鶴ヶ城址、また、当時、リンゴ狩りに訪れた際に立ち寄った岩手県二戸市の九戸城址をイメージして詞を書き上げたとされ、後から瀧が大分県竹田市の岡城址、同じく富山県富山市富山城を想って、詞に曲をつけたとされています。

ですからそれぞれの場所に「荒城の月」の歌碑が置かれています。  

瀧によるオリジナルはロ短調のアカペラ曲でしたが、後年、山田耕筰がピアノ伴奏を付ける際に、短三度上げてニ短調に移調し、旋律の一音ずつを倍に伸ばして、8小節のところを16小節に改編しました。 

さらに、「♪春高楼の花の宴~」の“え”にあたる音からシャープが消え、半音下げたナチュラルに変更されました。 

耕筰が日本らしさを出すためにあえてそう変えたとか、何度もの改訂の中で、自然に日本に馴染みの音階になっていったなど、諸説が取り沙汰され、様々に推測されています。 

今では瀧のオリジナルに直すべきという声も上がり始めているようです。  

「荒城の月」の歌詞は時代を越えて同じ姿で輝き続ける月と、栄枯盛衰の象徴でもある荒れた城を対比させることで、この世の無常や儚さを表現しています。  

奇しくも瀧廉太郎自身も留学先のドイツで肺結核を患い、帰国後、故郷大分で療養するも完治せず、23歳の若さでこの世を去っています。

しかし廉太郎はいなくとも、こうして音楽は今も輝き続けています。

その姿はまさに時を越え、不変の光りを保つ夜空の月のようでもあります。






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大分県竹田市の岡城址






















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生涯 

1879年(明治12年)824日、瀧吉弘の長男として東京市芝区南佐久間町2丁目18番地(現:東京都港区西新橋2丁目)に生まれる。

瀧家は江戸時代、日出藩の家老職をつとめた上級武士の家柄である。 

父・吉弘は大蔵省から内務省に転じ、大久保利通や伊藤博文らのもとで内務官僚として勤めた後、地方官として神奈川県や富山県富山市、大分県竹田市等を移り住んだため、瀧も生後間もなくから各地を回ることとなった。

そのため、後述の通り5回転校を繰り返すことになる。 

1886年(明治19年)5月、神奈川県師範学校附属小学校に入学。

同年9月、富山県尋常師範学校附属小学校(現在の富山大学人間発達科学部附属小学校)に転校。

1888年(明治21年)5月、東京都麹町区小学校(現在の千代田区立麹町小学校)に転校。

1890年(明治23年)5月、大分県尋常師範学校付属小学校(現在の大分大学教育福祉科学部附属小学校)に転校。

1894年(明治27年)4月、直入郡高等小学校(現在の竹田市立岡本小学校)卒業。

同年に15歳で東京音楽学校(現:東京藝術大学)に入学する。

1898年に本科を卒業し、研究科に進む。

こうして瀧は作曲とピアノ演奏でめきめきと才能を伸ばしていった。

1900107日には東京市麹町区(現:千代田区)にあった聖公会グレース・エピスコパル・チャーチ(博愛教会)で洗礼を受けてクリスチャンになり、1028日にジョン・マキムから堅信礼を受けた。 

明治時代の前半に多くの翻訳唱歌ができたが、日本語訳詞を“無理にはめこんだ”ぎこちない歌が多く、日本人作曲家によるオリジナルの歌を望む声が高まっていた。

瀧は最も早く、その要望に応えた作曲家と言えるだろう。

彼の代表作である「荒城の月」は、「箱根八里」と並んで文部省編纂の「中学唱歌」に掲載された。

また、人気の高い曲のひとつである「花」は1900年(明治33年)8月に作曲された、4曲からなる組曲『四季』の第1曲である。

「お正月」、「鳩ぽっぽ」(「鳩」とは別物である)、「雪やこんこん」(文部省唱歌「雪」とは別物である)などは、日本生まれの最も古い童謡作品として知られるが、これらは1900年に編纂された幼稚園唱歌に収められた。

また「荒城の月」は、ベルギーで讃美歌になったことも判明した。 

1901年(明治34年)4月、日本人の音楽家では2人目となるヨーロッパ留学生として、東部ドイツのライプツィヒにあるライプツィヒ音楽院(設立者:メンデルスゾーン)に留学する。

文部省外国留学生として入学、ピアノや対位法などを学ぶが、わずか2か月後に肺結核を発病し、1年で帰国を余儀なくされる。

その後は父の故郷である大分県で療養していたが、1903年(明治36年)629日午後5時に大分市稲荷町339番地(現:府内町)の自宅で死去した。23歳没。

結核に冒されていたことから死後多数の作品が焼却されたという。 

瀧家の墓所は日出町の龍泉寺であるが、瀧は父と親交のあった大分市金池町の万寿寺に葬られた。戒名は直心正廉居士。



























♪日本人の琴線に触れる美しい二重唱  

「春のうららの隅田川 上り下りの船人が・・・」 日本人でこの歌を知らない人はまずいないでしょう。

学校などでも一度は歌われた方が多いのではないでしょうか?

 瀧廉太郎は19世紀末に東京で生まれ、20世紀初頭にわずか23歳の若さで夭逝した、

明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人です。 

当時の日本では歌曲といえば西洋の作品に日本語の歌詞をはめ込んだぎこちないもので、廉太郎はこうした状況を打破すべく、オリジナルの歌曲の制作に力を注ぎました。 

そうした試みが生み出した名曲のひとつが「荒城の月」や「箱根八里」などと並んで人気の高い「花」です。

ソプラノとアルトの二重唱が生み出す心地よい響きは、旋律に微妙な変化を加えながら川のように淀みなくなく流れていきます。 

組歌「四季」は本来4曲から構成されますが、今ではほとんど「花」のみが一般に知られ歌われています。

 日本人2人目の音楽留学生としてドイツに学んだ廉太郎ですが、わずか2ヶ月で肺結核を患い1年で帰国後、父親の故郷である大分で短い生涯を終えました。







































































































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[ぴかぴか(新しい)]




 

「荒城の月」 歌詞 : 土井晩翠



 1.春高楼(かうろう・こうろう)の花の宴(えん)  巡る盃(さかづき)影さして

千代の松が枝(え)分け出(い) でし  昔の光今いづこ  

 

2.秋陣営の霜の色  鳴きゆく雁(かり)の数見せて

植うる剣(つるぎ)に照り沿ひし  昔の光今いづこ  

 

3.今荒城の夜半(よは・よわ)の月  変はらぬ光誰(た)がためぞ

垣に残るはただ葛(かずら)  松に歌ふ(うとう)はただ嵐  

 

4.天上影は変はらねど  栄枯(えいこ)は移る世の姿 

映さんとてか今も尚  ああ荒城の夜半の月




















[ぴかぴか(新しい)]

 

ピアノ曲 “憾み” は、廉太郎没年の1903年に作曲されています。

実は廉太郎の作品名に、このような表題が付いている事を不思議に思い、調べてみました。

廉太郎の結核の進行は早く、留学早々にして帰国せねばならない程悪化していたわけで、その挫折感たるや察するに余りあります。

きっと帰国の船の中で、結核と云う病魔の不条理を“憾み”ととらえ、おそらく遺作のつもりで大部分が出来上がっていたのではないでしょうか・・・

音楽や芸術に名を成した人の多くが結核に倒れ、その才能を十分に咲き誇る間もなく早世して行った事を、残念に思います。

 



























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katakiyo

私が耳にしたことの無い曲を沢山知りました。
多くの作品が廃棄されたとの事、残念です。
by katakiyo (2014-11-29 05:41) 

YUTAじい

おはようございます。
曲はそれなりに知ってたつもりでしたが・・・歴史に埋もれてた事知り胸が熱くなりました。
暫く余韻が残りそうです、今日もありがとうございます。
by YUTAじい (2014-11-29 05:55) 

般若坊

katakiyo さん おはようございます。やっと日本の作曲家の番が廻ってきました。
当時の医療知識とは云え、誠に残念ですね・・・庶民の防疫知識としては、止むをえないのでしょうが・・・
by 般若坊 (2014-11-29 10:07) 

般若坊

YUTAじい さん おはようございます。荒城の月が余りにも有名なので、他の曲に目がいきませんよね。
こうやって風呂敷を広げてみると、こんなに広範囲に我々の生活に溶け込んでいる曲があるとは・・・驚きです。
by 般若坊 (2014-11-29 10:11) 

ponnta1351

たった23才! 余りにも早すぎますね。
今、ドキュメント部分を観ました。洗礼を受けていたこと、四七抜き旋法、初めて聞きました。
 生まれつき天分は有った上の努力家、本当に若すぎましたね、
by ponnta1351 (2014-11-29 16:24) 

般若坊

ponnta1351 さん こんにちは。そう・・・23歳ですよ。
洋行して、いろいろ勉強して花咲こうとの意気込みも、挫折です。本当に気の毒としか言いようがありません。
生きていたら、素晴らしい大作曲家になっていたであろう事は、間違いありませんね!
by 般若坊 (2014-11-29 16:34) 

sig

「秋の月」「メヌエット」など、知らなかった曲もすばらしいものですね。
青島広志先生解説の「知ってるつもり」のドキュメンタリーもなかなか良くできていますね。今なら大丈夫な結核のために23歳で没したとは早世すぎますね。
by sig (2014-11-30 00:26) 

seawind335

確かにあまりにも早過ぎる死ですね。
彼が長生きをしていれば、音楽界も変わっていたかも知れませんね。
by seawind335 (2014-11-30 09:46) 

般若坊

sig さん おはようございます。今日は良い天気になりました。
色々な曲を滝廉太郎は作曲していますね。亡くなった時に焼却処分された作品がどのようなものであったのか?、片鱗も残っていないのは大変残念です。
「知ってるつもり」の最後に演奏される “憾み” は、そんな彼の悲壮な人生を物語るものですね・・・
by 般若坊 (2014-11-30 09:49) 

般若坊

seawind335さん おはようございます。
確かに・・・確かに・・・。文明開化期の音楽家ですから、おそらく日本の音楽界に大きな影響を与え、大きく変わっていただろうと思いますね。
by 般若坊 (2014-11-30 09:53) 

YUKO

こんにちわ。耳慣れた曲がたくさんあるし、名前は知っていても経歴は全く存じませんでした。学校ではできない勉強をさせていただきました。ありがとうございます。
by YUKO (2014-12-04 23:23) 

般若坊

YUKO さん おはようございます。そうですね 学校でもその作曲家の詳細についてはやりませんね。
曲名と日本の作曲家である事と早世した事ぐらいでしょう。
”知ってるつもり”のような番組は、深く理解出来て良い番組ですね・・・
by 般若坊 (2014-12-05 08:42) 

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