121 : Astor Piazzolla [楽興の時]
Astor Piazzolla
Astor Piazzolla
アストル・ピアソラ(Astor Piazzolla, 1921年3月11日 - 1992年7月4日)はアルゼンチンの作曲家、バンドネオン奏者。
タンゴを元にクラシック、ジャズの要素を融合させた独自の演奏形態を産み出した。
♪アルゼンチン・タンゴの歴史を根底から塗り替えたピアソラ
バンドネオンは鍵盤式のアコーディオンと違い、ボタン式の難しい楽器です。
アルゼンチン・タンゴのイメージがあまりに強いこの楽器ですが、そもそもは教会でオルガンの代わりに用いられた簡易式のオルガンでした。
つまり、オルガンが無い時に人々は、バンドネオンで賛美の歌をうたっていたのです。
アストル・ピアソラはアルゼンチン・タンゴの破壊者、改革者といわれます。
単に心地よく踊るためだけにあったアルゼンチン・タンゴを、 激しい心情の表現手段として、芸術の域にまで高めたのがピアソラです。
4歳でニューヨークに移住したピアソラは、最も多感な青年期を過ごしたその地で、 当時流行のジャズを始めとする様々な音楽に触れました。
そのことが後のピアソラの音楽性の幅広さに、大きな影響を与えています。
一時は本格的にクラシックを学ぶためにフランスに渡ったほどです。
しかしそこでタンゴこそが自分の原点だと再確認した彼は、帰国後、エレキギターを取り入れたブエノスアイレス八重奏団を結成。
保守的なファンからは非難を受けることになる、前衛的な音楽を展開していきました。
そしてバンドネオン、ピアノ、ヴァイオリン、コントラバス、エレキギターという、五重奏団を基本としながら、数多くの楽団の結成・解体をくり返しました。
ピアソラの音楽にはジャズや現代音楽、バロックやフーガといった、 様々なジャンルの音楽のエッセンスが、渾然一体となっています。
“踊れないタンゴ”とも評された、ピアソラの斬新な音楽は、そのことで返ってタンゴ・ファン以外の注目を集め、タンゴをより広範囲の音楽ファンへと広めるきっかけをつくりました。
リベルタンゴは1974年に発表されたピアソラの代表作のひとつです。
Libertangoとは、自由-libertad とタンゴ-tangoを合わせて作った造語です。
CMでも知られるヨーヨー・マのチェロ演奏も、高い人気を集めています。
アルフレッドアーノルドバンドネオン
ピアソラの生涯
少年期からバンドネオン奏者時代
1921年、アルゼンチンのマル・デル・プラタにイタリア移民三世(イタリア系アルゼンチン人)の子として生まれる。
四歳の時に一家でニューヨークに移住し、15歳までを過ごす。
この頃既にジャズに親しんでいたが、当初はバンドネオンやタンゴへの興味は薄かったという。
1931年にブロードウェイのラジオ局でバンドネオンのフォルクローレを録音し、以降ステージやラジオなどの演奏を行うようになる。
1932年に処女作『42番街に向けて着実に』を作曲している。
アルゼンチンに移住後、父の開いたレストランでバンドネオン、ハーモニカを演奏していたが、1938年にラジオで先鋭タンゴ「エルビーノ・バルダーロ楽団」に感動して初めてタンゴの音楽性を知る。
1939年に当時最先端だったトロイロ楽団に参加し、バンドネオン奏者として徐々に頭角を表すようになる。
また、1940年から5年間、アルベルト・ヒナステラに師事して音楽理論を学ぶ。
1944年にトロイロ楽団を脱退後、自らの楽団を率いて活動を開始、先鋭的なオーケストラ・タンゴを展開するが同時にタンゴの限界にも行き当たり、楽団を解体した後しばらく裏方活動に徹するようになった。
なお古典的なタンゴの作・編曲やクラシック作品の製作はこの頃に集中している。
パリ留学とタンゴ革命
1954年、タンゴに限界を感じたピアソラはクラシックの作曲家を目指して渡仏し、パリでナディア・ブーランジェに師事する。
当初自分のタンゴ奏者の経歴を隠していたが、ナディアにタンゴこそがピアソラ音楽の原点であることを指摘され、タンゴ革命の可能性に目覚める。
1955年7月に帰国後、エレキギターを取り入れたブエノスアイレス八重奏団を結成、前衛的な作風に保守的なタンゴファンから猛攻撃を受け「タンゴの破壊者」と罵られるほどだった。命を狙われたこともあったという。
結果楽団としては成功せず、いくつかのアルバム録音を残した後に新天地を求めて家族で古巣のニューヨークに移住する。
ニューヨークでは歌手の伴奏などを行ったほか、実験的なジャズ・タンゴと称する編成を組んだ。
1959年に父の死に捧げた代表作『アディオス・ノニーノ』を作曲する。
翌年帰国後に初演。バンドネオン、ヴァイオリン、ピアノ、コントラバス、エレキギターからなる五重奏団を結成し、以後ピアソラの標準的グループ構成となる。
五重奏団以降
これ以後のピアソラは理想的な音楽編成を求めて数多くの楽団の結成・解体をくり返す。
1963年 新八重奏団1971年 - 1972年 九重奏団1978年 - 1988年 後期五重奏団1989年 六重奏団 などである。
これらピアソラの楽団に所属することはサッカー王国アルゼンチンでナショナルチームに所属することと同じほどの名誉だったとされる。
この間1973年の心臓発作による休養や1988年の心臓バイパス手術など、健康面に不安を見せながら傑作の数々を残している。
1990年パリの自宅で脳溢血により倒れ闘病生活に入る。
大統領専用機でアルゼンチンに帰国する。
1992年ブエノスアイレスの病院にて死去。71歳。
ピアソラの音楽
ナディア・ブーランジェはピアソラの原点はあくまでタンゴだと指摘した。
しかし、少年時代のニューヨーク生活などの経験から、タンゴ奏者でありながらもタンゴを外から眺める目もまた持っていた。
元来タンゴは踊りのための伴奏音楽であり、強いリズム性とセンチメンタルなメロディをもつ展開の分かりやすい楽曲であった。
ピアソラはそこにバロックやフーガといったクラシックの構造や、ニューヨーク・ジャズのエッセンスを取り入れることで、強いビートと重厚な音楽構造の上にセンチメンタルなメロディを自由に展開させるという独自の音楽形態を生み出した。
これは完全にタンゴの表現を逸脱しており、「踊れないタンゴ」として当初の評判は芳しいものではなかった。
一方で、ピアソラの音楽はニューヨークなどのあまりタンゴと関わりを持たない街で評価された。
現在では、タンゴの可能性をローカルな音楽から押し広げた功績は、アルゼンチンのみならず国際的に高く評価されている。
ピアソラの音楽は共演者から「二十年先行していた」と評価され、ピアソラ一代で完全に閉じているためにタンゴ全体の未来はピアソラの先にない、という見方がある。
バンドネオン
アストル・ピアソラの作品については、Wikipedia を参照されたい。
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おはようございます。
タンゴ・・・みな同じ感覚で、また一つ知る事出来ました。
何時もありがとうございます。
by YUTAじい (2015-08-08 06:44)
YUTAじい さん おはようございます。今日はお孫さんと、社会見学・・・歴史見学ですか。
立秋・・・暦の上では秋になりましたね。猛烈な暑さは今しばらく続くでしょうね。 ^^
by 般若坊 (2015-08-08 07:58)
アルゼンチンの街角でダンサーたちがタンゴを踊っていました。
見てるお客さんも交じって踊れるんです。でも有料ですけどね。
楽しかった思い出が蘇って来ました。
by 旅爺さん (2015-08-08 08:35)
旅爺さん こんにちは。今日は立秋ですが、その名の通り、さすがの猛暑も一休みといったところですね。
アルゼンチンの街角タンゴ・・・見てみたいですね。観光客が群がって見ているのでしょうか・・・ ^^
by 般若坊 (2015-08-08 10:11)
ピアソラ 好きです。
娘が エレクトーンコンクールでピアソラのリベルタンゴを演奏して
賞をいただいたことがありました。
思い出深い曲です。
あ・・・賞をいただいたのはシミケンさんとは 関わり合いのない方の娘ね。
by ゆうみ (2015-08-08 14:59)
久しぶりにヨーヨーマの曲に、
CDを取り出し聴き入りました(^_-)
by yu-papa (2015-08-08 19:27)
ゆうみ さん こんばんは。おそくなりました。お嬢さん エレクトーンをお弾きなんですね。
リベルタンゴで入賞とは素晴らしいですね。望むらくはそのままエレクトーンの演奏を、生涯の友として頂きたいですね。 ^^
by 般若坊 (2015-08-08 20:19)
yu-papa さん こんばんは。演奏家には、持ち歌(曲)がありますね。
ヨーヨーマの場合はこの”リベルタンゴ”ですね。チェロで弾き始めると、 ああ ヨーヨーマの演奏だ! ってわかります。ヨーヨーマがお好きなんですね! ^^
by 般若坊 (2015-08-08 20:23)
わたしの知らない世界を掲載いただき、勉強になります。すばらしい!
by 暁烏 英(あけがらす ひで) (2015-08-08 22:21)
ピアソラは晩年のコンサートに一度だけ行きましたが、
バンドのメンバーのピアソラに対する尊敬の念が
とても強いことが伝わってきました。
コンサートにもっと何度も行きたかったですね。残念です。
by lequiche (2015-08-08 22:25)
暁烏 英(あけがらす ひで)さん おはようございます。今朝はまた一段と涼しくなりました。大輪の朝顔品評会 楽しませていただきました。 ^^
by 般若坊 (2015-08-09 09:17)
lequiche さん おはようございます。ピアソラの生の演奏をお聴きになったんですね・・・
昭和の終わりごろでしょうか・・・貴重な体験ですね。
彼の奏でる、むせび泣くようなバンドネオンの音色は、ピアソラの音楽と云うものを主張しているかのようですね。 ^^
by 般若坊 (2015-08-09 09:24)
こんにちは。コメント有難うございました。
ピアソラさんの記事で、こちらのブログに出会いました。
音楽は星の数ほどありますが、聞いたことのあるものは、ほんの一握り。
こちらでは、まだ私の出会ったことのない、そして心が震えるような良い曲を聴くことが出来て、本当に嬉しいです。
これからも、良い曲が聴けることを楽しみに、訪問させていただきますね。
by ニケ (2015-08-12 19:29)
ニケ さん こんばんは。暖かいコメント ありがとうございます。私もこのブログを書きながら勉強させていただいています。
クラシックは幅が広くそして深いので、飽きることがありません。珠玉の宝庫を開いてご紹介する事に、無類の喜びを感じます。
どうぞ、末永くクラシックとお付き合いください。 ^^
by 般若坊 (2015-08-12 20:12)