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068:Erik Alfred Leslie Satie [楽興の時]

 

 








Erik Alfred Leslie Satie

 













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Eric Alfred Leslie Satie

 

 

エリック・アルフレッド・レスリ・サティ(Erik Alfred Leslie Satie1866517 - 192571日)は、フランスの作曲家である。



サティは「音楽界の異端児」「音楽界の変わり者」と称され、西洋音楽に大きな影響を与えたと見なされており、ドビュッシー、ラヴェルも「その多くの作曲技法はサティによって決定づけられたものだ」と公言している。
そして、印象主義の作曲家たちにも影響を与えたとされる。

パリ音楽院在学中にピアノ小品『オジーヴ』『ジムノペディ』『グノシエンヌ』などを発表。カフェ・コンセール『黒猫』に集う芸術家の1人となり、コクトーやピカソと交流。バレエ・リュスのために『パラード』を作曲。
またカフェ・コンセールのためのいくつかの声楽曲を書く。今日よく知られている『ジュ・トゥ・ヴー』はこの時の曲。薔薇十字教団と関係し、いくつかの小品を書く。
同一音形を繰り返す手法を用いた『ヴェクサシオン』『家具の音楽』なども書いた。

なお『家具の音楽』というのは彼が自分の作品全体の傾向を称してもそう呼んだとされ、主として酒場で演奏活動をしていた彼にとって客の邪魔にならない演奏、家具のように存在している音楽というのは重要な要素であった。
そのことから彼は現在のイージーリスニングのルーツのような存在であるともいえる。

また『官僚的なソナチネ』『犬のためのぶよぶよとした前奏曲』『冷たい小品』『梨の形をした3つの小品』『胎児の干物』『裸の子供たち』のように、作品に奇妙な題名をつけたことでも知られている。

フランス社会党及びフランス共産党にも党籍を置いていた(当初は社会党に入党していたが、共産党結党と同時に移籍)。

ドビュッシーとの交友関係もよく知られている。


















































生涯

  • 1866 - 5月17オンフルールにて誕生。聖公会洗礼をうける。
  • 1870 - 父アルフレッド・サティが海運業をやめ、パリに移住。
  • 1872 - スコットランド人の母ジェイン死亡。オンフルールに住む父方の祖父母に預けられ、カトリックとして再度洗礼。教会のパイプオルガンに魅せられ入り浸る。
  • 1874 - 祖父ジュール・サティがエリックにヴィーノのもとで音楽を学ばせる。
  • 1878 - 祖母ユラーリがオンフルールの浜辺で溺死体で発見される。サティは父のいるパリへ再度移住。
  • 1879 - パリ音楽院に入学。父アルフレッドがピアノ教師であったユージェニ・バルネシュと再婚。
  • 1886 - 音楽院が退屈すぎ退学する。
  • 1887 - シャンソン酒場のピアノ弾きになる。
  • 1889 - パリ万博で、日本の歌謡にふれる。
  • 1890 - 薔薇十字教団創始者ジョセファン・ペラダンと出会う。
  • 1891 - 聖杯の薔薇十字教団聖歌隊長に任命される。
  • 1893 - シュザンヌ・ヴァラドンと交際を始め、彼女に300通を超える手紙を書く。6ヵ月後ヴァラドンと絶交。
  • 1904 - スコラ・カントルム入学。
  • 1905 - シュヴィヤール演奏会の会場で雨傘で決闘し、警察に留置される。
  • 1908 - スコラ・カントルム卒業。パリ郊外アルクイユの急進社会主義委員会に入党。
  • 1914 - 詩人ジャン・コクトーと知り合う。
  • 1919 - パリのダダの芸術家たちと交流し、自身もメンバーとなる。
  • 1925 - 7月1聖ジョセフ病院にて肝硬変のため歿。アルクイユの公共墓地に埋葬。




































作風


それまでの調性音楽のあり方が膨張していた時代に、彼は様々な西洋音楽の伝統に問題意識を持って作曲し続け、革新的な技法を盛り込んでいった。
たとえば、若い頃に教会に入り浸っていた影響もあり、教会旋法を自作品に採り込んだのは、彼の偉大な業績の一つである。
そこでは調性は放棄され、和声進行の伝統も無視され、そして、並行音程・並行和音などの対位法における違反進行もが書かれた。

後にドビュッシーやラヴェルも、旋法を扱うことによって、既存の音楽にはなかった新しい雰囲気を醸し出すことに成功しているが、この大きな潮流は、サティに発するものである。

 生涯サティへの敬意について公言し続けてきたラヴェルは、ドビュッシーこそが並行和音を多く用いた作曲家だと世間が見なしたことに不満を呈しており、その処女作「グロテスクなセレナード」において既にドビュッシーよりも自分が先に並行和音を駆使したと述べ、それがサティから影響を受けた技法であることにも触れている。

また、彼の音楽は厳密な調性からはずれた自由な作風のため、調号の表記も後に捨てられた。したがって、臨時記号は1音符ごとに有効なものとして振られることとなった。
拍子についても自由に書き、拍子記号や小節線、縦線、終止線も後に廃止された(これらの拍子記号、調性記号、小節線の廃止に関する言説は広く流布されしばしば言及されてもいるが、十分注意して接するべきである。
なぜなら、最晩年にはサティは再び拍子記号も調性記号、小節線も復活させているからである。たとえば、「ノクターン」や「家具の音楽」がいい例である)。調号を書かずとも、もしそこの音の中に調性があればそれが現実であり、拍子記号や小節線などを書かずとも、もしそこの音の中に拍子感があればそれが現実であるとみなしていたため、実際には、それらが書かれていないからといって、調性や拍子が必ずしも完全に存在しないわけではなかった。
散文的に、拍節が気紛れに変動するような作品も数多く存在し、調性とはほど遠い楽句や作品も数多く生み出されている。

拍子のあり方についての新しい形は、特にストラヴィンスキーがそれを受け継ぎ、大きく発展させ、後のメシアンへと続くことになった革新の発端と見なされている。
また、記譜法についての問題提起は、後の現代音楽における多くの試みの発端とされ、図形楽譜などにまでつながる潮流の源流となっている。

調性崩壊のひとつの現象として、トリスタン和音が西洋音楽史上の記念碑と見なされているが、それが依然として3度集積による和声であったのに対し、サティは3度集積でない和音を導入した。
これは、解決されないアッチャカトゥーラや3度集積によらない和音を書いたドメニコ・スカルラッティ以降はじめての和声的な大革新とされている。
この影響によって、印象主義からの音楽においては、自由な和声法による広い表現力が探求されることとなった。

また、音楽美学的見地においても彼は非常に多くのあり方を導入したとされ、鑑賞するだけの芸術作品ではない音楽のあり方をも示した。
「家具の音楽」に縮約されているように、ただそこにあるだけの音楽という新しいあり方は、イーノやケージたちによる環境音楽に影響を与え、また、「ヴェクサシオン」における840回の繰り返し・「古い金貨と古い鎧」第3曲結尾部における267回の繰り返し・「スポーツと気晴らし」第16曲「タンゴ」や映画「幕間」のための音楽における永遠の繰り返しは、スティーヴ・ライヒたちによるミニマル・ミュージックの先駆けとされている。

サティがやり始めた数多くの革新は、過去の音楽や、他の民族音楽などの中に全くないものではなかったものの、そのほとんどが純粋に彼独自の自発的で突発的なアイデアに基づいたものであるため、現代音楽の祖として評価は高く、数多くの作曲家がサティによる開眼を公言している。

最後の作品となったバレエ「本日休演」では、幕間に上映された映画「幕間」のための音楽も担当した。
またその映画の中でフランシス・ピカビアと共にカメオ出演もしており、サティの最晩年の姿を見ることができる。



































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自画像

作品

 

膨大な作品数の為省略。 詳しくはWikipediaを参照されたし。

















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コメント 12

YUTAじい

おはようございます。
彼(失礼)の事は知りませんでしたが、聴いた事有る曲も。
今日も美しい曲で・・・良い一日過ごせます・・・
何時もありがとうございます。
by YUTAじい (2014-06-21 05:50) 

般若坊

YUTA じいさん おはようございます。今日はもうお出かけのようですね!
サティの曲は、今までのブログで一部使っています。独特のテンポと旋律ですね。
YUTA じいさんの聞き覚えのある曲は ”あなたが欲しい” でしょうかね。時折耳にする曲ですから・・・ ^^
by 般若坊 (2014-06-21 09:28) 

海を渡る

こんにちは。
フランスにこんな変わった作曲家がいたのは知りませんでした。
曲名の付け方や自画像がユニークですね^^。
by 海を渡る (2014-06-21 13:22) 

般若坊

海を渡る さん こんにちは。おっしゃる通り変わった作曲家ですね。
曲名もユニークですが、引き始めたら何時間も続くピアノ曲とか・・・とにかく型破りです。
ここに載せた曲も演奏時間を考慮して、なるべく短い曲を選びましたよ。 ^^
by 般若坊 (2014-06-21 16:02) 

sig

こんばんは。
サティ・・・、好きなんですよ。特に1~4曲まではポピュラーですものね。
1枚だけですがCDを持っています。笑 CDをまず買ったことはありません。
by sig (2014-06-21 23:45) 

般若坊

sig さん こんばんは。サティがお好きですか ^^ 確かにジムノベティやグノシェンヌは代表作ですね。
サティの旋律に病みつきになる人もいそうですね。それほど異質?なピアノ曲です。
前のページでpontaさんが、ニャンコ”Nora”の演奏をご紹介してくれましたが、サティのVEXATIONSを聞いていると、よく似ているな~ と一人笑ってしまいましたよ。 ^^
by 般若坊 (2014-06-22 01:25) 

ponnta1351

始めて聞く作曲家です。
随分前衛的で黒鍵を使用している印象ですけれど。
by ponnta1351 (2014-06-23 12:12) 

般若坊

ponnta1351 さん こんにちは。世の中にはサティ大好きって人が結構居るようですよ。現代クラシックに比べると、聴いてみようかな・・・という気持ちになりますが・・・。
この人の困ったとこは、弾き始めたら1時間も、2時間も、3時間も演奏が終わらないことです。時間に追われる現代人には付いていけませんね。
sigさんのところでも書きましたが、例のNoraちゃんの演奏とサティのVEXATIONSを聞き比べてみてください。
似たようなもんじゃないか!と思ってしまいます。 ^^
by 般若坊 (2014-06-23 12:31) 

bpd1teikichi_satoh

般若坊さん今晩は!爺もサティ好きです!友人の看護大学の先生は、
サティが物凄く好きらしいです!
処で今真夜中で、昨日リハビリ体操教室で疲れて仕舞い早く寝て仕舞ったので、今何時ものように、3畳のリクライニングチェアに寝そべり
真空管アンプとヘッドフォンでルービンシュタインの奏でるショパン
のポロネーズ集のCDを聴いています。特に好きなのは、矢張り英雄
ポロネーズです。この曲を聴いていると生きる勇気が湧いてきます!
by bpd1teikichi_satoh (2014-06-24 01:15) 

般若坊

bpd1teikichi_satoh さん おはようございます。どうも宵っ張りは私ばかりではないようですね ^^
深夜、ヘッドホンから流れてくるショパンは良いでしょうね・・・真空管アンプを経由してくる英雄ポロネーズが、どのような音なのか私にはわかりませんが、うらやましい時間をすござれていますね。
ショパンのご紹介まで まだ時間が暫くかかりますが、その時はビデオですが載せたいと思います。ありがとうございました。 ^^
by 般若坊 (2014-06-24 07:09) 

Ujiki.oO

 まずは取り急ぎ、わざわざ「 So-net 実験ブログ 」にご訪問下さって nice! 頂戴しました。 ありがとう感謝します。 これからも宜しくお願い致します。 ところで、「第二の nice! ボタン」について改訂致しました。 厚かましくて失礼を省みず、再度のお願いの儀であります。 以下の記事で新たなデザインをご提案致します。 詳しくは潜ってくださいませ。
http://junk2014.blog.so-net.ne.jp/2014-06-24

※ 尚、本コメントは、リンク先が時間の経過と共に豹変致しますので(爆笑)どうぞ適宜削除願います。 お手数をお掛けして済みません。
_(_ _)_/
by Ujiki.oO (2014-06-24 13:52) 

般若坊

Ujiki.oO さん はいはい 只今 只今 ^^
by 般若坊 (2014-06-24 18:16) 

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