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106 : Otto Nicolai [楽興の時]

 

 

 

Carl Otto Ehrenfried Nicolai




















 

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Carl Otto Ehrenfried Nicolai

 


















 

カール・オットー・エーレンフリート・ニコライ(Carl Otto Ehrenfried Nicolai, 181069日 – 1849511日)は、ドイツの作曲家・指揮者。

1842年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(の前身Philharmonische Academie )の創設、およびシェイクスピアの喜劇に基づくオペラ『ウィンザーの陽気な女房たち』で知られている。

5つのオペラのほか、管弦楽曲・合唱曲を作曲している。


























♪ウィーン・フィルハーモニーの創設者としても名高い作曲家 

ニコライは181069日生まれの、ドイツ出身の指揮者・作曲家です。 

幼い頃から天与の才能を見せ始め、父親の手ほどきでピアノを習得。

16歳で親元を離れると、ベルリンに遊学し音楽を研修します。 

この時に保護を受けたのは、ベルリンのカール・フリードリヒ・ツェルターで、ベルリン・ジングアカデミーの学生として教会音楽を中心に学んでいました。 

また有名なメンデルスゾーンによる、バッハのマタイ受難曲の蘇演の際、ニコライはジングアカデミーの学生として、イエス・キリストのパートを歌っています。

メンデルスゾーンはニコライと同じくツェルターの弟子だったのです。 

その後は1833年に駐ローマ・プロイセン大使館付き礼拝オルガニストとなり、1840年代にはウィーンに拠点を移し、ケルントナートーア劇場の楽長に就任しました。

そして18423月にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の前身である宮廷楽団員の自主演奏団体「フィルハーモニー・アカデミー」による最初の演奏会を催しています。 

1847年にベルリン歌劇場の音楽総監督となった2ヶ月後に、後の代表作となる歌劇『ウィンザーの陽気な女房たち』を発表。大成功を収めました。 

この作品はシェークスピアの同名喜劇をモーゼンタールが台本に書き上げ、三幕七場にまとめた魅惑的な喜歌劇で、184939日にベルリン王立歌劇場(現在のベルリン国立歌劇場)にて初演されました。 

またそれに先立つ184741日には同じく王立歌劇場で、ニコライ自身が創立したウィーン・フィルハーモニー管弦楽団により、作品の抜粋と序曲が演奏されています。 

このオペラは同時期のドイツ語による喜歌劇 - ジングシュピールの中でも、ユーモアと新鮮さにおいて傑出しているとされ、分けても序曲は人気で、現代でも演奏会用としてコンサートで広く取り上げられています。












 





生涯 

プロイセン王国のケーニヒスベルク(現カリーニングラード)に生まれた。

幼少のころ天与の才を示し、音楽家であった父親が神童と銘打って売り出そうと躍起になったことから、16歳で親元を離れ、ベルリンのカール・フリードリヒ・ツェルターの保護を受けてベルリン・ジングアカデミーの学生として教会音楽を中心に学ぶ。

1831627日に行われた演奏会で、ツェルターとその弟子のフェリックス・メンデルスゾーンとともにバッハのマタイ受難曲を蘇演したジングアカデミーの学生として、イエス・キリストのパートを歌った。

1833年には交響曲第1番を初演するなど、ドイツでの初期の成功を収めた後に、駐ローマ・プロイセン大使館付き礼拝オルガニストとなった。

1840年代にウィーンに活動の拠点を移し、ケルントナートーア劇場の楽長に就任した。特筆すべき活動として、18423月にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の前身である宮廷楽団員の自主演奏団体「フィルハーモニー・アカデミー」による最初の演奏会を催している。 

1844年に、ベルリンの宮廷礼拝堂Koenigliche Hofkapeleの楽長職を務めていたフェリックス・メンデルスゾーンが退任して空席となったため、ニコライが後任に推されたが、彼自身は晩年の1849年に至るまで、ベルリンに生活の拠点を移すことはなかった。

 喜歌劇『ウィンザーの陽気な女房たち』の初演から約2ヵ月後、ベルリンの王立歌劇場(現ベルリン国立歌劇場)・宮廷礼拝堂楽長就任の2日前にあたる1849511日、脳梗塞で倒れて息を引き取った。

亡くなる数日前にプロイセン王立芸術アカデミー会員への推薦がなされ、死後アカデミー会員に加えられた。























作品

・オペラ

Rosamonda d'Inghilterra(エンリーコ2世、1839年)

Il Templario(神殿の騎士、1840年)

Odoardo e Gildippe1841年)

Die Heimkehr des Verbannten(追放された男、1844年)

ウィンザーの陽気な女房たち(1849年) 

・交響曲

交響曲第1番 ハ短調

交響曲第2番 ニ長調 

・ミサ曲

ミサ曲ニ調(1835年)











 



















































































































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YUTAじい

おはようございます。
ふと・・・忘れてる・機会無い曲・作者に改めて出会いの機会を戴いてます。
何時もありがとうございます。
by YUTAじい (2015-04-25 07:04) 

般若坊

YUTAじい さん おはようございます。ここの所 比較的良い天気が続きますね。梅雨前の安定期に入ったようです。
いよいよゴールデンウイークですね。皆さんそれぞれの計画に万を持して、待機中といったところでしょう。 ^^
by 般若坊 (2015-04-25 09:37) 

あゆさこ

快晴の毎日です!
昨日、今日は、人間将棋行われました。
今年は、観に行かなかったです。(^_^;)
明日から三日間、今度は、県縦断駅伝が行われます。今年は、60回記念大会なので、山の神今井正人さんが招待選手として、三日目に、11チームのアンカーと一斉スタートだそうです。(*^_^*)二日目は、勤め先の前の道路を走って行きますよ~。(^_-)-☆
花粉症も楽になったし、気分爽快!(*^_^*)
by あゆさこ (2015-04-26 14:43) 

般若坊

あゆさこ さん こんにちは。
これからゴールデンウィークにかけて、それぞれ行事が目白押しですね。
天気もよく格好の行楽日和が期待されます。
今年の花粉症・・・随分苦しまれたようですね・・・すっきりして良かったですね。 ^^
by 般若坊 (2015-04-26 16:29) 

暁烏 英(あけがらす ひで)

いつも癒されます。
by 暁烏 英(あけがらす ひで) (2015-04-26 21:01) 

般若坊

暁烏 英(あけがらす ひで)さん こんばんは。
いま東北は花ざかりで、 暁烏 英(あけがらす ひで)さんも、花を訪ねて旅行中なんですね。花花花の写真をありがとうございます。
ただ 心電計をつけての旅のようで、どうぞ無理をされませんように。
by 般若坊 (2015-04-26 22:53) 

旅爺さん

今日は暑かったですね~!”
ツツジを見に行って帰りはフラフラでした。
by 旅爺さん (2015-04-27 19:17) 

般若坊

旅爺さん こんばんは。あちこちツツジが思いっきり咲いていますね。
春爛漫ですが、この時期の天候と着衣の状況の、バランスを取るのが難しいですね。
そんなわけで、お出かけでは結構体力を消耗したのではないですか?
by 般若坊 (2015-04-27 20:56) 

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