174 : Ottorino Respighi [楽興の時]
Ottorino Respighi
Ottorino Respighi
オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi, 1879年7月9日 – 1936年4月18日)はイタリアの作曲家・音楽学者・指揮者。
ボローニャ出身だが、1913年からはローマに出て教育者としても活動した。
1908年までは演奏家、とりわけヴァイオリン奏者やヴィオラ奏者として活動したが、その後は作曲に転向した。
近代イタリア音楽における器楽曲の指導的な開拓者の一人としてつとに名高く、「ローマ三部作」と呼ばれる一連の交響詩(すなわち《ローマの噴水(イタリア語: Fontane di Roma)》、《ローマの松(イタリア語: Pini di Roma)》、《ローマの祭り(イタリア語: Feste Romane)》)がとりわけ有名である。
16世紀から18世紀の音楽に対する関心から、古楽に基づく作品も遺した。
レスピーギ:《リュートのための古風な舞曲とアリア》 第3組曲より “シチリアーナ”
♪ 気品と香気が漂ういにしえのシチリア舞曲
レスピーギは「ローマ3部作」などで知られるイタリアの作曲家です。
ロシアでR.コルサコフに管弦楽法を学び、それが作品の中で壮麗なオーケストレーションとなって開花しました。
また、同時代の作曲家たちの流れに逆らって、オーソドックスなスタイルを保った稀有な存在ともいえます。
「リュートのための古風な舞曲とアリア」はレスピーギが図書館で発見した15,6世紀のリュート曲を元に編曲を施した3つの組曲です。
わけても第3組曲「シチリアーナ」は特に人気が高く、単独でも演奏される機会の多い作品です。
CMでも頻繁に使用され、また最近では平原綾香さんがアルバムでカバーしたことでも話題になりました。
レスピーギは、この曲について「原曲のもつ気品と香気を失うことなく、原曲の時代と性格に適した和声を配し、管弦楽の衣を着せた」と語っています。
生涯
ボローニャに生まれ、地元の音楽教師だった父親からピアノとヴァイオリンの指導を受ける。
1891年から1899年までボローニャ高等音楽学校においてヴァイオリンとヴィオラをフェデリコ・サルティに、作曲をジュゼッペ・マルトゥッチに、音楽史を、古楽の専門家ルイージ・トルキに師事。
1899年にヴァイオリン演奏でディプロマを取得すると、1900年から1901年までと、1902年から1903年までの2度のシーズンにわたってロシア帝国劇場管弦楽団の首席ヴィオラ奏者としてペテルブルクに赴任し、イタリア・オペラの上演に携わった。
ペテルブルクではニコライ・リムスキー=コルサコフと出逢って5ヶ月におよぶ指導を受け、その精緻な管弦楽法に強い影響を受けた。
多くの資料では、さらに1902年にベルリンで短期間マックス・ブルッフの薫陶を受けたとされているが、エルザ未亡人はこの説を事実ではないとして否定している。
その後ボローニャに戻り、作曲で2つめの学位を取得した。
1908年までムジェッリーニ五重奏団より第1ヴァイオリン奏者に迎えられている。
1908年から1909年までベルリンに滞在し、演奏家や、声楽教室のピアノ伴奏者として稼ぎながら音楽的な知見を広げ、イタリア人以外の作曲家にも開眼した。
ようやく帰国すると作曲に没頭し、自作のカンタータ《アレトゥーザ(イタリア語: Aretusa)》(1911年)のピアノ伴奏版の作成に熱心に打ち込む。
ボローニャ高等音楽学校に定職が得られることを要望するも果たせず、やっと1913年にサンタ・チェチーリア音楽院作曲科教授に任命されてローマに移住し、最晩年まで同地に暮らした。
1917年に交響詩《ローマの噴水》をローマで初演するが成功せず、自信を喪失する。
しかし1918年、アルトゥーロ・トスカニーニによるミラノでの再演が大成功に終わって、作曲家としての突破口を迎えることができた。
1919年に、1915年からの門弟で、声楽家でもあったエルザ・オリヴィエリ=サンジャコモと結婚する。 ⇒
レスピーギ:交響詩《ローマの松》 第4部「アッピア街道の松」
♪古代ローマへの憧憬と幻想を勇壮な管弦楽で描く
レスピーギと言えば代名詞的に引き合いに出されるローマ三部作。
印象派的な「ローマの噴水」、芸術的な「ローマの松」、そして通俗的な「ローマの祭」の三作の交響詩です。
この中で最も取り上げられるのは、演奏効果も高いローマの松です。
自ら指揮した初演のプログラムにレスピーギはこう記しています。
「『ローマの松』では私は、記憶と幻想を呼び起こすために出発点として自然を用いた。極めて特徴をおびてローマの風景を支配している何世紀にもわたる樹木は、ローマの生活での主要な事件の証人となっている。」
松に象徴される自然を、時代を見つめる生きた証人とすることで、憧憬や幻想も含めた古代ローマへの郷愁を音楽を通して描いています。
全4部からなるこの交響詩の最後を飾るアッピア街道の松は、オーケストラ・サウンドの醍醐味を堪能できる壮大な作品です。
あたかもラヴェルのボレロのように盛り上がっていく様はまさに圧巻。
リムスキー=コルサコフに師事したレスピーギのオーケストレーション力が、5分ほどの曲の中に凝縮され、遺憾なく発揮されています。
舞台裏にも置かれた金管楽器は、場合によって客席の脇、後方、または2階席等にも配置され、劇的で立体的な音響を響かせることもあります。
アッピア街道は古代ローマの国道一号線とも言える原点のような道。
“すべての道はローマに通ず”と言いますが、古代ローマ軍の進軍の様子を描いたこの曲は、同時に人類のたゆまぬ文明の進歩を描いているようにも聴こえてきます。
⇒ 1923年にはサンタ・チェチーリア音楽院の院長に就任し、1926年には再び院長に任命されたため、十分な時間を作曲に充てることができなくなった。
それでも1935年まで教職に就いており、1925年にセバスティアーノ・アルトゥーロ・ルチアーニと共著で初歩的な教則本『オルフェウス(ラテン語: Orpheus)』を上梓した。1932年にはイタリア王国学士院の会員に任命された。
晩年は国内外で自作の上演のため何度も演奏旅行に出ており、指揮者を務めたり、ピアニストとして声楽家であるエルザ夫人の伴奏を務めたりなどした。
レスピーギ作品はファシスト政権にも非常に好評であったが、レスピーギ自身はまだファシズムに深入りしてはいなかった。
後半生はベニート・ムッソリーニのファシスト党とぎこちない関係を続けた。
それでもトスカニーニのような明け透けな批判者からも支持されており、批判者が自作を上演することを認めていた。
《ローマの祭り》の初演は1929年にトスカニーニの指揮するニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団によって行われた。
初録音は1942年にフィラデルフィア管弦楽団、再録音は1949年にNBC交響楽団によって行われ、いずれもトスカニーニの指揮であった。
レスピーギの作品はアメリカ合衆国でかなりの成功を収めた。
ピアノと管弦楽のための《トッカータ》は1928年11月にカーネギーホールにおいて、作曲者自身のピアノ独奏とウィレム・メンゲルベルクの指揮、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団によって初演されている。
大規模な変奏曲《メタモルフォーゼ(Metamorphoseon)》はボストン交響楽団創立50周年記念の依嘱作品であった。
1936年1月までは作曲を続けていたが、その後は次第に病に蝕まれ、もはや新作を完成させることができなかった。
同年4月18日に心臓病から死に至り、ローマに埋葬されたが、翌1937年に亡骸が郷里のボローニャに移され、同地の霊園に改葬された。
作風と作品
初期の擬古典主義的な習作の後、ロシア滞在を経てレスピーギの音楽語法は変化を遂げた。
自由な形式、拡張された和声法、音楽表現に見られる激しい振幅が、それ以後の作品を左右する要素となっている。
さらにレスピーギ作品を代表しているのが、イタリア国内のヴェリズモからの離反である。
イルデブランド・ピッツェッティやジャン・フランチェスコ・マリピエロ、アルフレード・カゼッラとともに、ヨーロッパ全土からの影響を咀嚼して、現代的な音楽文化を成立させた。
当のレスピーギは作品中において複調的な傾向を見せており、管弦楽曲はとりわけフランス印象主義音楽(特にクロード・ドビュッシー、モーリス・ラヴェル)の影響を感じさせる。
また、レスピーギはイタリアにおける古典主義の旗手でもあり、17世紀とその前後のイタリア音楽に対する熱心な研究・調査から、クラウディオ・モンテヴェルディやアントニオ・ヴィヴァルディの作品のほか、ベネデット・マルチェッロの《ディドーネ(イタリア語: Didone)》を校訂して出版した。
過去の作曲家や古い様式への献身から、レスピーギを新古典主義音楽の作曲家と位置付けすることもできるが、実のところ古楽に基づくレスピーギの作品群は、「新ルネサンス様式」「新バロック様式」と呼ぶのが正確だろう。
レスピーギは、古典派音楽以前の旋律様式や(舞踊組曲などの)音楽形式を、近代的な和声法やテクスチュアと好んで融合させている。
方やフランスで六人組が、「新しい単純性」を、中でもウィーン古典派の軽やかさへの回帰を標榜したのに対し、一方のレスピーギは、イタリア古楽の復興、そして古楽の再作曲・構成のために古い音楽を利用したのであった。
声楽曲・合唱曲
歌劇
バレエ音楽
管弦楽曲
協奏的作品
室内楽曲
その他の器楽曲
曲目詳細については、以下を参照されたし。
このブログは美しい曲・美しい絵画・美しい詩 等をインターネットの宝の山から見つけ出し、
ご紹介する事を基本としているブログです。
またここで使っている音楽・動画は、ご紹介している作曲家・アーティストの作品や解説への引用です。
おはようございます。
また後程・・・・お邪魔させて戴きます。
by YUTAじい (2016-08-20 07:31)
トレビの泉には2度行ったので懐かしいです。
by 旅爺さん (2016-08-20 08:04)
YUTAじいさん おはようございます。
今週は、日本近海で発生した台風も含めて2個の台風で、天候が荒れ模様になりそうです。
今朝も霧雨が降っています。晴れると暑いけれどやはり天気の方がいい・・・ ^^
by 般若坊 (2016-08-20 08:32)
旅爺さん おはようございます。
ローマというと、いろいろなスポットがありますが、トレビの泉もその一つですね。私も10年前になりますが、行きました。
彫像と噴水が調和して、恋人たちのデートスポットですね。映画”ローマの休日”も、この場所でのシーンがありました。
コインを投げ入れると、思いが叶うということですが、 旅爺さんは如何ほど投げ入れられましたか? ^^
by 般若坊 (2016-08-20 08:42)
やった~ 陸上男子400mリレーで日本が銀メダル !! チームワークの勝利だね・・・
37秒60 アジア新記録。 おめでとう!そして ありがとう!
by 般若坊 (2016-08-20 11:25)
今日のは重厚でした。
by 夏炉冬扇 (2016-08-20 19:17)
夏炉冬扇 さん こんばんは。
オリンピックの競技も残り少なくなってきましたが、日本のメダルラッシュはどこまで続くんでしょうね!
レスピーギ・・・あまり耳慣れない作曲家かも・・・
重厚とのご感想は当たっているかも・・・いわゆるド・クラシックの作曲家ですから。 ^^
by 般若坊 (2016-08-20 20:22)
こんばんは。今日は静岡県以北の雨は、すごかったですね!
近年にない雨台風9号の被害 皆様のところは如何でしたでしょうか・・・
被害最小であることを願っております。
私どもは毎日が日曜日で さしたる用事もないので、窓越しに吹き荒れている外界を、一日中覗いていました。
リオ・オリンピックも今日が閉会式・・・あちらもあいにくの雨で、和服の勝負服を召した小池知事もズブぬれで、オリンピック旗の引き渡しを受けていました。
ちょっとお気の毒でした・・・マリオ姿の安倍総理にも、思わず笑ってしまいました。
さあこれから4年後は、東京オリンピックですね!
by 般若坊 (2016-08-22 22:21)
般若坊さんこんにちは〜
レスピーギ爺も大好きな作曲家です。特に、ローマの松、ローマの噴水、ローマの祭りの三部作は素晴らしい!
然し、今年台風は異常気象の現れですね〜
by bpd1teikichi_satoh (2016-08-30 10:42)